烏含寺と結びつくもの

526 ~ 526

この烏含寺は創建当初も百済寺院の伽藍配置に共通する一塔式、すなわち日本でいう四天王寺式であったと考えられ、河内の烏含寺――新堂廃寺もたぶん同様な伽藍配置であったとみられる。しかしこれは日本の初期寺院にいくつも例のあることであるから、百済と河内の烏含寺を結びつけるものは、すでに述べたように寺名のほかに見出すことができない。百済烏含寺から出土した軒丸瓦の瓦当の型式も、河内烏含寺のものと直接関係があるということは難しい。