ところがこれらの建物は伽藍が南向きに配置されたとみるか、東向きに配置されたとみるかで、機能が異なってくる。たとえば南向きとした場合には伽藍は四天王寺式の配置となり、この場合には南方建物は塔、中央建物は金堂、北方建物は講堂とすることができる。南方建物の平面は正方形になると復原されるのでその基壇の規模からみて塔址としての可能性をもつものの、発掘によって刹柱を支える心礎は発見するに至らず、礎石を掘り付けた形跡もなかったので、若干の問題は残るという。一方、伽藍を東向きとみた場合には、川原寺式の配置が考えられる。しかしこの場合にも西方建物が正面中央の金堂とするには、川原寺に比べて大きすぎるので、むしろ九州太宰府の観世音寺のように講堂とすれば妥当な説明がつくなど、いく通りもの解釈が検討された。