建築史の上から新堂廃寺の屋根部材の構造について非常に注目すべき特色が認められた。もちろん屋根部材そのものは発見されなかったが、珍しいことに楕円形の棰先瓦と隅木先を覆う飾瓦の出土から、屋根を支える棰の用い方にこれまでの寺院址とは異なる手法のあることが推測されたからである。この点について浅野氏はつぎのように考察している。
楕円形の棰端飾瓦や隅木端飾瓦を使用したのは、この奈良時代前期に属する建物であった。楕円形棰端飾瓦の存在は非常に重要である。それは我国に現存している上代建築からは、このような瓦は考えられないからである。我国で楕円形棰(実は矩形の隅を丸めたような形)が用いられるようになるのは平安時代以後のことで、それも円形棰の退化したものに過ぎない(角棰断面も奈良時代以前のものは正方形に近く、平安時代に入ると長方形になってくるので、これに応じて円形棰も楕円形になるのである。同様な現象は棰に限らず、桁にもはっきり現われている)。だから、このような楕円形棰はかなり急勾配の棰の木口を垂直に切った場合か、扇棰の軒隅に近い部分の棰に横にして用いる場合が考えられる。扇棰が我国の上代建築にも用いられていたことは、既に四天王寺講堂跡発掘で発見され、落下してそのまま腐朽し去っていた軒隅部分が、旧地表面上にしるされた圧痕から明瞭に知られている。棰の木口を垂直に切った例はまだ知られていないが、尾棰や地隅木の先を垂直に切る例はいくらもあるので、とくに地棰の場合にはありえないことではなかろう。
いささか建築学的に専門な内容をそのまま引用する形になったが、新堂廃寺が奈良前期に再建された際に建物の構造がこのようにユニークなものであったことは注目されてよい。その点で浅野氏によるこの考察は慎重な表現ながら、特色をきわめてよくとらえているということができるであろう。