第一期類の軒丸瓦は五形式に細別できる。いずれも素弁に属するもので、そのうち1A形式は八弁からなり「蓮弁は弁端に珠粒を点じて、その反転を表現する弁端点珠のもの、弁端は厳密には尖っているが最広部分が角張らないで曲線を描き、ひとまず円端形式に含められる」とある。特色は中房の周辺に円圏の凹帯を設けていることで、薄手の造りからなり青灰色を呈する堅緻な焼成からなる。瓦当面径一五・二センチ(440・1)。1B形式の軒丸瓦は1A式とほぼ同文であるが、弁肉が厚く、弁間を仕切る間の線、中房の蓮子などが太くて大きい点で異なる。瓦当面径一六・五センチ(440・2)。さらに顕著な両者の差は瓦当部分と丸瓦の接合にあって、1A式はたんに両方をわずかの粘土を用いて接合の補助としているだけにすぎず、離脱しやすい。ところが1B式は瓦当部分裏側の縁を斜めに削って丸瓦と充分に噛み合わせ、瓦当裏面の下縁を面取りしていることが認められるので、氏は技法的に後出するものかとしている。なお1B式には同様な形状の蓮弁を配した棰先瓦がある。瓦当面径一二・八センチとやや小さく、中央に一孔を穿っている(440・4)。
2A形式は氏の分類によると「花弁は円端点珠形式、弁数は一〇弁、中房小形、蓮子(1+4)、1A形式における中房周溝を除き弁数を増加したもの」を指す。瓦当面径は一七・一センチ。花弁の中央に稜をもつのが特色で、この形式にともなう棰先瓦もあり、瓦当面径一二・八センチ。暗赤色を呈し黒斑をもち、砂粒を含む軟質の焼成である。
3形式の軒丸瓦は比較的発見例数が多く、新堂廃寺で主として用いられた瓦ということができる。一〇弁からなり、花弁の先端は角張って中央に点珠を配し、中房は小形で(1+4)の蓮子を有している。灰白色を呈するものが多くて上記の瓦当の胎土と一見して異なることを思わせる。瓦当面径は一五・七センチ。珍しく完形品があって玉縁の継手をもち、全長三九・五センチに達することが判明した(440・3)。なおこの3形式にともなう棰先瓦はない。
一九六〇年の予備調査時の所見では、これら飛鳥時代に属する第一期の瓦は南方建物すなわち塔址の南寄り地域に集中し、ごくわずかに北方建物の西方で検出したほかは、中央建物を中心とする地域では全く出土しなかった。またこの時の総検出個体数七七点のうち、1Aはわずかに五点(六%)1Bは二九点(三八%)、2Aは一四点(一八%)、3は二九点(三八%)と、過半数を1Bと3形式が占めていることもあげておこう。