記銘瓦と鴟尾

535 ~ 537

第一期類に属するものの中で注目すべき資料としては、文字をヘラ書した記銘の平瓦片がある。断片で記銘のすべてはわからないが「……二月記焼終」と後半にあたる文章が比較的丁寧な筆致で刻まれている。藤沢氏も指摘されているように、欠失した前文に年紀が記されていた可能性が高く、瓦の焼造年次から寺の創建時期を推定できる重要な記銘であったと思われる。平瓦片は側縁が割り放しの四枚作りとあるところから時期のさかのぼることが知られ、ヘラ磨きを加えた裏面の中央に右上から左下にかけてやや斜め方向に文字を刻している。別にヘラ描きの線刻文をもつ平瓦片もあり、一見花弁とも見える円形の図文を重ねて描いている。

 第一期類の屋瓦に密接に関連するものとして鴟尾の破片がある(考古五六―1・2)。大別すると三種あるが、いずれも胴部から鰭部にかけて放射状に段型を作る飛鳥時代の特色をよく示している。このうちA種の鴟尾は飛鳥寺西門に用いられたものに匹敵する最古型式に属するといい、全体にきわめて薄い作りで、鰭部と胴部の大きな破片のほか、数多くの破片が出土した(『日本古代の鴟尾』奈良国立文化財研究所飛鳥資料館一九八〇年)。胴部と鰭部の内外面に幅の狭い正段型を表わす百済様式で、低い縦帯をはさんで胴部段型と鰭部段型を互い違いに配置している。胴部には半円形の透し孔を設けていて、残存破片から復原すると「腹部下方での幅は約四五センチ、鰭部を含めた後部幅は約六〇センチにもなり、薄手の造りにもかかわらずかなりの大きさを有していたものと見られる」と説明されている。このAの鴟尾は六世紀末にさかのぼる可能性が指摘されていて、新堂廃寺の創建時期を古く考える場合の一つの資料となる(441)。

441 新堂廃寺出土の鴟尾復原図 (『日本古代の鴟尾』による)

 他のB・Cも正段型を持つものの、段型の幅は広く、Aとは異なる厚手の造りで時期が下ると見られ、前掲書の中ではBの製作時期を七世紀前半、Cは七世紀後半と推定していることを紹介しておこう。したがって新堂廃寺のABC三種の鴟尾は第一期類から第二期類にかけての屋瓦に対応するものである。