この時期のもう一つの珍しい資料としては長方形の鬼面文飾瓦があり、隅木先覆瓦として用いられている。調査終了後寺址周辺の側溝工事中に偶然発見され、工事関係者によってさいわい誉田八幡宮に寄託された結果、保管の機会を得たものである。藤沢一夫氏はこの用途を詳細に検討し「箱状をなして隅木末端に挿入し、これを被覆するように作られたものであったことが、前面飾板、側面前端と後端の部分各一個、蓋板前半と後半の部分各一個、側板前端部一個等の残欠から復原される」と考察した(考古五七)。
縦一九・七センチ、横一五・一センチの飾板一杯に高肉に表現された鬼面文は、眼窩、鼻孔、牙歯を中心に忍冬文、火焔文、渦文を配してまさに雄渾そのもので、類品を見ないことと相まって絶品と称するにふさわしい。この図文に対して「中国の唐代大明宮跡から発掘された刀装具の一部、葉形金具によく似た鬼面文が飾られており、初唐以前の中国伝来の文様であることが判明した」という考証も与えられていて(稲垣晋也編『古代の瓦』『日本の美術』一一、一九七一年)、藤沢氏による韓国忠南扶余所在の陵山里(ヌンサンリ)古墳から出土した忍冬文宝冠金具との比較とあわせて、外来系要素の強いことは明らかである。