第三期類の屋瓦は軒平瓦残欠にすぎず、前述の一、二期類に比べてとくに記すべき点は少ない。府報告には「上縁と両側縁とに杏仁形珠文を、下縁に密波文をもつ均斉唐草文を配したもの」とある。
第四期類の屋瓦は平城宮系軒丸瓦と軒平瓦を中心とするもので、複弁八葉の蓮華文の周囲に連珠文と波文をめぐらしている。直径一六・二センチで、中房は径三・九センチ(1+6)の蓮子を配している。木笵の笵型が完好なものと割れたものとの二種がある。軒平瓦は均斉唐草文の周縁に疎珠文をめぐらし、上弦幅二七・九センチ、下弦幅二八・八センチ、弧深六・二センチ、厚さ六・三センチの大きさで、詳細に見ると二種を区別しうる。八世紀前半ごろに比定できるという(毛利光俊彦「近畿地方の瓦窯」『仏教芸術』一四八、一九八三年)。
さて新堂廃寺出土の屋瓦で最も新しい時期に属するのは鎌倉時代で、軒丸瓦は尾の細長い三巴文の外側に連珠文帯を配し、高い外縁を有している。直径一六・二センチ。軒平瓦は中央に×字をおき、両側に連珠文を配していて外郭線で囲んでいる。軒丸瓦と同様外縁は高く、他の鎌倉期の屋瓦と共通する。
屋瓦以外の資料としては、まず塼がある。黒色の軟弱な焼成の短形品で、厚さは五・九センチある。蓮華文円形土製品として径一・八センチ、厚さ〇・三センチのごく小さい赤褐色の焼成品があり、一端を欠失しているものの中央に中房があり、八葉の蓮華文をもつ瓦当のミニュアチュアである。同様な土製品として径九センチで一六葉の蓮華文をもつ小片も出土した。
仏像関係の遺物には、頭部の宝髻部分にあたるかと推定されている螺旋形をした土製品の破片がある。現存高九・五センチ、左右一一センチの大きさである。また同種の螺髪、衣褶裾の部分と見られるものもある。金具の残欠と見るべき金銅と銅製品もあり、金銅製品は長さ四・四センチ、幅二・六センチ、厚さ〇・二センチの長方形で弯曲していて、外面に鍍金を施し、もと小型の厨子の扉金具かと考えられるが、よくわからない。銅製品は四隅に留釘用の小円孔を穿つ方形板である。
その他の資料としてガラス製丸玉、三彩陶器破片、青磁破片、土製獣脚などがある。