細井廃寺は、礎石が残っているものの、すでに民家と道路によって大きな変更を加えられてしまった結果、伽藍配置も不明瞭で、現状において見るべきものはなく、羽曳野丘陵の東縁に接した台地の南を占めているという地理的条件を知りうるにすぎない。
さて同寺院址からは川原寺式の複弁蓮花文軒丸瓦が、重弧文軒平瓦と対をなすものとして採集されている(考古六一―2・3)。この軒丸瓦は表面の傷みが甚だしいものの、八葉の花弁はそれぞれ二個の子葉をおさめ、中房は著しく大きく、房内に一八個の大粒の蓮子を配列している。石川谷の中で川原寺式の複弁蓮花文をもつ軒丸瓦は、新堂廃寺からの出土例が一番卓越しているが、それに比べると文様がやや崩れ、表現も弱いので、時期の下ることを認めなければならないであろう。ただし対をなすものとして採集された重弧文軒平瓦は、四重弧文を型引きで表現しているものの、胎土は良好で焼成も堅緻な点で、上記の軒丸瓦とはやや異なる感を与えるため、今後数種の複弁蓮花文軒丸瓦が出土する可能性がある。