龍泉寺は別名牛頭山医王院と称し、富田林市の南にそびえる嶽山の東斜面中腹に位置する。蘇我馬子の創建と寺伝にあり、法燈を現に掲げる市内では最古の名刹として知られる。その寺史、伽藍堂宇などの説明は古代編に譲って、ここで重ねて繰り返す煩はさけることにしたい。境内各所からは奈良時代前期より鎌倉時代にかけての多種多様な古瓦が出土しているが、ここでは奈良時代前期に属する瓦について中村浩氏の執筆による説明を加えておくことにしよう。
軒丸瓦は二種類あり、一つは八弁複子葉弁文瓦で、直径一七・五センチ、内区径一三センチ、中房径七・一センチ、厚さ二・八センチを測る。中房には(1+5+10)の配列をもつ輪郭のある写実的な蓮子を有する。外区は内傾する外縁の斜面に内彫鋸歯文を配している。瓦当と丸瓦の接合は瓦当裏面に丸瓦端面をあてて接合しており、とくに溝などを刻んでいない。なお丸瓦の端部は削らず接合されており、瓦当裏面にみられる接合粘土の接合線は円弧状である(445・1)。川原寺式で、新堂廃寺に同笵の出土例がある。
他の一つは六弁単子葉弁文瓦で、直径一八・九センチ、内区径一四・三センチ、中房径三・九センチ、厚さ四センチを測る。中房には一+六の配列をもつ蓮子を有する。弁面に忍冬文(忍冬蓮花文)を配し、外縁には退化した二重の圏文(重圏文)を有する。瓦当と丸瓦の接合は瓦当裏面上部に溝をつけ、丸瓦を差し込んで接合しており、丸瓦端部は削らずに、そのまま接合している(445・2)。丸瓦裏面の接合線は円弧状を呈し、野中寺、大県廃寺に類例がみられる。また、前記の二種の軒丸瓦に対応するとみられる重弧文軒平瓦は全長三三センチ、上弦長二七・五センチ、下弦長三一・二センチ、弧深四・五センチを測る。本来は三重弧文であると考えられるが、顎部を欠損しているため、推定の域を出ない。なお二重弧文の破片も小量であるが検出されている。外(凹)面には細かい布目、内(凸)面には〇・六センチ四方の格子叩きが施されている。瓦当と平瓦の接合は、平瓦広端凸面に粘土を貼って厚くして瓦当を作り、瓦当文様をつくる方法を用いている。(中村浩)