煙出しと瓦の覆い

551 ~ 552

煙道についてはすでに述べたように、奥壁中央に垂直に二条の縦溝を設けている。この縦溝はもと奥壁の地山に幅二八センチ、深さ三五センチの溝を上方が細くなるように穿ち、その中間に幅一〇センチの高い仕切り壁を粘土で作り付けて二条に分岐させたものである。この溝状煙道の下端は床面に達し、その部分から始まって上方の旧地表面に開口するところまで、高さは一・六メートルある。煙道はこのままでは溝を穿った効果を発揮せず、焼成部の火廻りもよくないので、二条の溝の上面を並べた平瓦で覆っている。平瓦を支えて溝の開口部を作るために、煙道下部の床上には二条の溝をはさんで三個の丸瓦が垂直に立てかけられている。平瓦は左右の隅を丸瓦の先端上におき、上方に平瓦を連接して並べることで溝の上面はすっぽりとおおわれる仕組みである。調査当時、完形に近い平瓦が奥壁の下方に集中して堆積していたので、もともと全面をおおっていたことは確実である(考古六四)。

 丸瓦は長さ三九・五センチ、このうち三三センチは本体で、一方に六センチ余りの玉縁がついている。丸瓦の幅は一五センチ、玉縁の幅は一〇センチ余りあり、内縁の両側に面取りが施されている。外面には部分的に縄目叩文、内面には全面に布目の圧痕があり、端部は幅一~二・五センチのナデ調整が加えられて布目が消されている。丸瓦の胎土は平瓦と異なり良質で砂粒は少ないが、軟質焼成である。黄褐色ないし黄白色(考古六八)。

 平瓦は長さ三六・五センチ、上縁の幅二一・八センチ、下縁の幅二五・〇センチの大きさで、下面には縄目叩文、上面には布目が全面に認められる。胎土は砂粒を多く含み粗質で、淡褐色ないし灰褐色を呈する。丸瓦、平瓦を通じて焼成度は低く、屋瓦として焼成されたものを転用したというよりも、焼成不良品を利用した感を与える(考古六九)。

 平城宮付属の瓦窯として官衙建物の葺料を供給していた一つである大和中山瓦窯5号窯では煙出し部を左右に二条もち、同じく6―B号窯では左右に三条設けているという。これらは半地下式有段登窯で、この種遺構を持つ例は八世紀前半に属していて、後半に下る確実な例のないことが指摘されている(毛利光俊彦「近畿地方の瓦窯」『仏教芸術』一四八、一九八三年)。

447 ヲガンジ池瓦窯出土の平瓦・丸瓦実測図