近年になって寺院址や宮殿址の発掘調査と並行して、その生産遺跡ともいうべき瓦窯の調査も積極的に行なわれるようになった結果、屋瓦の供給関係についても興味のあることがわかってきた。比較的早く一九五三年には、飛鳥寺の東南に接する丘陵の先端に、花崗岩質の地山を刳り抜いた登り窯状の構造をもつ有階式の瓦窯が発見された(『飛鳥寺発掘調査報告』『奈良国立文化財研究所学報』五、一九五八年)。全長一〇・一メートルで、焚口・燃焼室・焼成室・煙道の四つの部分からなり、内部に大量の瓦片が堆積していた。二〇段の階段からなる有階式の床面をもつ点で古い型式に属し、一般に飛鳥寺創建時に築造されたと解している。ただしこの瓦窯の内部や灰原の一部からまだ飛鳥時代にさかのぼる瓦片を発見していないという理由で、瓦を焼造した年代を白鳳期以降に下げて考える説もあって、日本における最古の瓦窯の裏づけはまだ十分とはいえない。