新堂廃寺の屋瓦の場合、すでに述べたように、飛鳥時代に属する第一期類の軒丸瓦は五種類からなる。この相違は同一の瓦窯で次々に異なった木笵で作られた結果生じたともみられるが、むしろ瓦の胎土・焼成・技法の相違から、少なくとも三カ所の瓦窯から供給された事情によるものと解すべきであろう。すなわち型式の相違は時期の差ではなく、同時期に稼行していたかもしれぬ瓦窯の差と考えるのである。たとえば藤沢一夫氏によって第1A型式に分類されたものは、蓮弁の弁端に珠文を配し、中房の周囲に円圏をめぐらした特色のある瓦当文であるが、同氏によると類例は明日香豊浦寺の高句麗系軒丸瓦や法隆寺、西安寺、北葛城郡王寺町の片岡王寺など、奈良盆地の南部から西部の地域に分布する寺院址に求められる(『河内新堂・烏含寺跡の調査』大阪府教育委員会 一九六一年)。また3型式は一〇弁からなる蓮華文で、花弁が角張り、弁端には珠文を配置している。飛鳥寺、法隆寺をはじめ多くの寺院にみられる八弁の蓮華文を本来の型式とすると、それと併行する不整型式とみるべきであろう。