火葬墳墓に銭貨を副葬する例は、奈良県山辺郡都祁村の小治田安万侶墓における和同銀銭一〇枚の発見をはじめ、桜井市横枕、北葛城郡当麻町などの数例と、京都府、岐阜県、岡山県にもあり、大阪府下では東大阪市と柏原市にある。
とくに柏原市国分本町七丁目の田辺古墓からは、一九八二年三月の調査で須恵器の甕を伏せた火葬墓の中に一一枚の和同開珎を納めた例が発見されていて、本市の甲田南古墓とも距離的に近いところから注目される。遺構は地表下約五〇センチで瓦敷の施設があり、その上に高さ四一センチ、口径五八センチの広口の甕を倒立しておき、内部に銅銭を副葬してあったらしい。甕の器形からみても奈良時代後半ごろに推定できる遺構である。このように特異な副葬品をもつ古墓であるにもかかわらず、墓誌など被葬者を明らかにする資料は何一つなかったので、おそらく田辺氏一族の墳墓であろうと想像するにすぎない。