墳丘斜面の火葬墳墓

572 ~ 573

古墳各説の項であつかった平古墳群中の第1号墳の墓丘一角に埋葬されていた火葬蔵骨器である。第1号墳は羽曳野丘陵の突端に西面して営まれた全長五〇メートルの前方後方墳で、その後方部南斜面の裾部、すなわち墳丘縁と丘陵の接点がやや傾斜の緩やかな段をなす地形を利用して墳墓は存在した。

 本古墳に関しては発掘調査概要があるのみでまだ詳細な報告はないが、蔵骨器の出土状況に関して「後方部南斜面からは奈良時代の火葬骨壺一が出土している。底部中央に内から孔があけられ、剥落した破片で孔をふさいで火葬骨を入れていた。骨以外には他に遺物は認められなかった」という簡単な解説がつけられている。

 蔵骨器は蓋をもつ壺形の須恵器である。高さ一四・四センチ、腹径二〇・八センチ、口径一〇センチの大きさで、肩の張った扁球形の胴部に直立してやや外反した短頸の口縁をもち、底部には低くて角張った高台がついている。蓋は天井部から下方に直角に折れ曲がった口縁をもち、上部中央にボタン形のつまみをもつ。高さ三・八センチ、径一三・五センチある(451)。

451 平第1号墳丘から出土した蔵骨器

 また西方の第2号墳も墳丘の東側斜面から、「隆平永宝」とみられる銅銭一個をともなって、内外面に叩目をもつ須恵質甕の破片が出土したという。前者と同様な蔵骨器と考えられ、銅銭の年代から平安時代に属するものであろう。