東京国立博物館に所蔵(日本之部、陶磁器三一四五号)されている旧南河内郡大伴村大字板持(富田林市東板持)出土の壺形須恵器で、本来は有蓋短頸壺と考えられるが、現在、蓋は失われている。口径一一・八センチ、胴径二四・一センチ、器高一八・五センチ、高台径一五・四センチ、高台高一・八センチを測る(454)。口縁部は外弯し、端部は丸く、肩はなだらかに下がり、底部に比較的高い高台を八の字形に貼り付けている。なお高台の接地部は外端である(455)。
製作手法は、マキアゲ、ミズビキによる成形で、体部外面のほぼ下半部分は回転利用のヘラ削りが施されているが、詳細は灰をかぶっているため不明である。他は回転ナデ調整で、体部内面には、マキアゲの痕、およびロクロ痕が明瞭に残る。底面は粗い、不定方向のナデ調整がみられる。一方、口縁部に蓋の口縁部の一部が融着しており、復原径は一四・二センチで、焼成時に蓋をかぶせた状態で焼成室内に置かれたものと考えられる。胎土は密で、ほとんど砂粒を含まず、焼成は良好堅緻である。全体に灰をかぶり、緑色灰釉が流れた如くの感を与える茶灰褐色を呈し、断面は青灰色である。時期は平安期と推定され、和泉陶邑の所産ではないと考えられる。(中村浩)