竹内街道

648 ~ 650

飛鳥・白鳳時代の富田林地域から、中央の飛鳥京・藤原京へゆくコースは、二上山南の竹内峠を越えれば、長尾神社(北葛城郡当麻町)付近で、横大路にたどりつく。横大路は耳成山の南側を東西に一直線に走る大和平野の古道で藤原京の北京極大路に利用された。藤原京の南京極大路は見瀬・石川精舎跡・雷丘・山田寺を結ぶ線に相当し、東京極大路は古道の中ツ道、西京極大路は下ツ道(畝傍山の東を南北に走る)を利用していた。

 飛鳥京域の中心は飛鳥寺(法興寺)付近にあたり、藤原京の南京極大路と飛鳥川とが交わる小治田・豊浦付近から飛鳥川ぞいに東南に進めば、伝飛鳥浄御原宮跡・飛鳥寺・伝飛鳥板蓋宮跡・川原寺・橘寺・石舞台古墳に達する。藤原京の東京極大路と南京極大路との交叉点(藤原京の東南隅)から東京極大路の線を真南に延長すると、この南北線のすぐ両側に飛鳥寺・川原寺・橘寺が位置する。

486 竹内峠付近と二上山

 また藤原京の朱雀大路と南京極大路との交叉点(羅城門の位置する地点)から朱雀大路を南に延長した南北線上に菖蒲池古墳・桧隈大内陵(天武・持統天皇合葬陵)・桧隈安古岡上陵(文武天皇陵古墳)がのっている。壁画古墳として内外の視聴を集めた高松塚古墳は、大内陵の南西六九〇メートル、文武天皇陵古墳の西北一五〇メートルのところに位置し、高松塚古墳と中尾山古墳(文武天皇陵にあてる説が有力となりつつある)とを結ぶ南北線は、藤原京朱雀大路延長線より西方約一四〇メートルの線に相当する。

 竹内街道は仁徳天皇陵古墳(堺市)から河内平野の南部を東に通じていた古道で、いまの堺市と橿原市とを結んでいたことになるが、その通過地点は金岡―野遠―岡―樫山―野々上―多遅比(丹比)野―古市(西琳寺と安閑天皇陵=古市高屋丘陵との間)―近飛鳥―山田(孝徳天皇の大坂磯長陵の南側)―二上山南側の竹内峠を通過して大和に入っていた(487)。

487 大和・河内の古道(岸俊男「古道の歴史」より)