飛鳥といえば大和(奈良県)の地名として古来よく知られているが、河内にも飛鳥という地名が羽曳野市に残っており、ここはもと南河内郡駒ケ谷村の大字であり、竹内街道と飛鳥川に沿っていて、式内社の飛鳥戸(あすかべ)神社などがみられる。『万葉集』(一〇―二二一〇)に収められている「あすか川もみじばながる葛城の山の木の葉は今し散るらむ」という歌に出ている「あすか川」が河内の飛鳥を流れる川であって、大和の飛鳥川でないことは、歌中に葛城山がみえるのによって知られる。葛城山のもみじは河内の飛鳥川に流れるけれども、大和の飛鳥川に流れることはないからである。飛鳥川に流れるもみじの葉を見るにつけて葛城山に秋が訪れたようすが推測されるという意味の歌である。この歌をきざんだ歌碑(寛保二年〔一七四二〕九月一七日建立)が飛鳥川に架せられた月読橋の近くに立っている。
河内の飛鳥の地名がどうしてできたか。その由来は『古事記』(履中天皇段)につぎのように記される。仁徳天皇が難波宮で崩御したのち、履中天皇があとをつぎ、大嘗祭をおこない、宴会(豊明(とよのあかり))のさい、酒に酔って寝ているすきに、弟の墨江中王が天皇を害しようと考え、宮殿に放火した。天皇は阿知直(倭の漢直(あやのあたい)の祖(おや))によって救い出され、馬にのせられて大和に逃れ、石上神宮(天理市)に入った。弟の水歯別命(みずはわけのみこと)(のち反正天皇)がかけつけ、天皇は水歯別命の心のなかを疑い、もし私に協力する気があるならば、難波に下って墨江中王を殺して来いといった。水歯別命は難波におもむき、墨江中王の近習(侍者)の隼人(はやと)の曽婆訶理(そはかり)をかたらい、もしお前が汝の主人(墨江中王)を殺せば、われは天皇となり、汝を大臣に任命しようと約束した。曽婆訶理は墨江中王が厠に入るときをうかがい、矛(ほこ)で刺殺した。水歯別命は曽婆訶理をひきいて大和に入るとき、大坂(二上山の麓で、竹内街道に沿う高地)の山口(河内から大和へ越える山道の上り口)で曽婆訶理を殺そうと考えるが、前にかわした約束を破るにしのびないので、曽婆訶理に「今日は此間に留まりて、先づ大臣の位を給ひて、明日上り幸でまさむ」いい、その山口に留まり、仮宮を造り、宴を開いた。大坂は難波をさすのでなく、大和国北葛城郡下田村の西に逢坂(おおさか)という地名が残っており、この付近をさして大坂山といい、すなわち河内から大和へ越えるさいの穴虫越のことであるという。宴会で水歯別命は曽婆訶理に大臣の位を授け、百官をしてこれを拝させた。曽婆訶理が得意になって酒を飲むとき、水歯別命は隠し持っていた剣で曽婆訶理の首を斬り、翌日大和に向かった。
ついで『古事記』には「乃ち明日上り幸(い)でましき。故、其地を号(なづ)けて近飛鳥と謂ふ。上りて倭に到りて詔りたまひしく、『今日は此間に留まりて祓禊(はらへ)を為(し)て、明日参出て神宮を拝まむとす』とのりたまひき。故、其地を号けて遠飛鳥と謂ふ。故、石上神宮に参出て、天皇に奏さしめたまひしく、『政(まつりごと)、既に平(ことむ)け訖(を)へて参上りて侍ふ』とまをさしめたまひき。爾(ここ)に召し入れて相語らひたまひき。天皇、是に阿知直を始めて蔵官(くらのつかさ)に任(ま)け、亦粮地(たどころ)を給ひき」と記される。ここにみえる遠飛鳥は大和の飛鳥をさすわけで、この近飛鳥(河内)と遠飛鳥(大和)は難波宮からの位置関係から近と遠との字を冠して呼んだものである。
『古事記』の右の説話には、飛鳥の地名の由来を水歯別命が「明日」上ろうといった「明日」に付会しようという意図がみえる。このことと本居宣長が『古事記伝』に「名ノ意は二ツ共に此に見えたる如く明日と詔へるに依れり。ただ明日と詔へるのみにて地ノ名に負むことは少しいかがなるが如くなれども是はただ何となく詔へる御言のみに因れるには非ず。かの河内にても此処にても直に其ノ日に幸すべきを延へて明日になし賜へるが両処全同じ趣なるはめづらしき事なればなり」と説明しているのは同じ趣旨である。
最近では、飛鳥の語源を朝鮮語のアンスク(安宿)と関連させる説もあるが、これについては上田正昭氏が「言葉の類似というのは厳密にやらねばならんので、すぐ結論をだすわけにはいかんと思います」と慎重に発言されているのを支持したい(上田正昭・金達寿等編『古代の日本と朝鮮』)。
また近・遠飛鳥については、『古事記』では允恭天皇の宮を「遠飛鳥宮」、顕宗天皇の宮を「近飛鳥宮」としている。『書紀』では近・遠を付した例は一例で、顕宗天皇元年正月一日条に「公卿百寮を近飛鳥八釣宮に召して即天皇位(あまつひつぎしろしめ)す」とある。坂本太郎等校注『日本書紀』(上)の頭注は、奈良県高市郡明日香村大字八釣所在説を紹介しつつ、「それでは遠飛鳥=大和飛鳥と考えられるのと矛盾する」として、「この近飛鳥宮は河内国安宿郡飛鳥であり、八釣もその地に求むべきかもしれない」と記されている。