渡来人の氏寺

658 ~ 660

大陸や半島から流入した渡来人で、仏教信仰を身につけた者が諸地方に居住したのが仏教の日本移植の始まりであり、渡来人の氏寺は、とくに河内東南部の大県・安宿・古市・石川・志紀郡地域に集中して建てられた。この地域は難波から旧大和川をさかのぼって達することができ、旧大和川と石川との合流点の周囲にあたり、交通は至便であった。

 この地域に渡来人が建てた寺を時代順にあげると、一説に錦部氏の氏寺ともいわれる飛鳥時代の新堂廃寺(烏含寺跡、石川郡・富田林市)が最も古く、ついで書(ふみ)(西文(かわちのふみ))氏の西琳寺(古市郡・羽曳野市)、船氏の野中寺(丹比郡・羽曳野市)、葛井(ふじい)氏の葛井寺(志紀郡・藤井寺市)、奈良朝にはいって津氏の埴生廃寺(古市郡・羽曳野市)や、渡来氏族の共立と考えられる智識寺(安宿郡・柏原市)などがみられ、仏教のメッカの観を呈した。注目されるのは、貴族・豪族はこれらの渡来人に接触し、仏教を受容したこと、また律令国家の官大寺仏教の源泉がこの渡来氏族の仏教のメッカから発していること、などである。前者の例として、橘三千代(光明皇后の母)の仏教信仰が田辺史から影響をうけたと考えられること、後者の例として、聖武天皇は智識寺の廬舎那仏を見て、自分も造りたいと思ったことから大仏造立を発願したことがあげられる。

491 船氏の氏寺野中寺(羽曳野市)

 河内全体で飛鳥時代に創立された寺は新堂廃寺をはじめ、西琳寺・野中寺・衣縫廃寺(藤井寺市)・大県廃寺(柏原市)・渋川寺(八尾市)など六カ寺をかぞえる(492)。ちなみに大阪府に属する摂津では四天王寺・堂ヶ芝廃寺(大阪市天王寺区)・猪名寺(伊丹市)の三カ寺、和泉では海会寺(堺市)・上代観音寺・禅寂寺・池田寺(和泉市)の四カ寺である。さすがに大和(奈良県)の飛鳥時代寺院は飛鳥寺〔法興寺〕(高市郡明日香村)・法隆寺など二八カ寺にのぼり、これにつぐのが河内(六カ寺)・和泉(四カ寺)・山城(四カ寺)・摂津(三カ寺)である(石田茂作『飛鳥時代寺院の研究』総説)。

492 石田茂作説による飛鳥時代寺院