河内国の一四郡

686 ~ 688

大化改新詔にみえる国―郡―里の制度は、実際には国―評―里制度であって、大化前後に従来の国・県制を再編成するために創設されたものである。評は朝鮮の制度にならったもので、律令制的な地方支配のための制度である。評から郡への移行は、大宝令にみられ、大宝令によって全国にわたって国―郡の制度がしかれた(米田雄介『古代国家と地方豪族』)。国司が管内の軍事・財政権を一手に掌握したのも、大宝令以後である(黛弘道「国司制の成立」大阪歴史学会編『律令国家の基礎構造』)。河内国司を一覧表で示したのが(505)である。

505 奈良・平安初期の河内国司一覧表
職階 人名 年月 官位 出典
大石王 大宝 3.7 従五位上 続紀
多治比真人水守 慶雲 4.5 正五位下 続紀
石川朝臣石足 和銅 1.3 正五位下 続紀
賀茂朝臣吉備麻呂 養老 1.4 正五位下 続紀
大伴宿禰祜志備 天平 14.4(見) 従五位上 続紀
百済王敬福 天平勝宝 2(見) 従三位 続紀
紀朝臣飯麻呂 天平宝字 2 正四位下 補任
仲真人石伴 4.1 従四位下 続紀
阿倍朝臣毛人 7.1 正五位下 続紀
石上朝臣息継 天平神護 1.閏10(見) 正五位下 続紀
藤原朝臣雄田麻呂 神護景雲 3.10 従四位下 続紀
紀朝臣広庭 宝亀 1.8 従五位上 続紀
紀朝臣広純 5.3 従五位上 続紀
佐伯宿禰国益 6.9 正五位下 続紀
佐伯宿禰真守 10.9 正五位下 続紀
阿倍朝臣祖足 天応 1.2 従五位下 続紀
巨勢朝臣苗麻呂 延暦 4.1 正五位上 続紀
大伴宿禰蓑麻呂 7.2 従五位下 続紀
大伴宿禰弟麻呂 9.3 正五位下 続紀
懸大養宿禰古万呂 天平勝宝 8.5 従五位上 裂名
当麻真人広名 天平宝字 3.5 従五位上 続紀
山田連銀 7.4 外従五位下 続紀
石川朝臣望足 天平神護 1.閏10(見) 正六位上 続紀
紀朝臣広庭 神護景雲 2.10 従五位下 続紀
阿倍朝臣常島 宝亀 2.閏3 従五位下 続紀
権介 河内連三立麻呂 5.9 外従五位下 続紀
大伴宿禰蓑麻呂 延暦 4.1 従五位下 続紀
百済王善貞 7.2 従五位下 続紀
大掾 石川名人 天平 10(見) 大日本古文書24の74頁
少掾 小治田小虫 10(見) 大日本古文書24の74頁
少掾 石上奥継 天平宝字 4.1(見) 従六位上 続紀
少目 会竜万呂 天平 10(見) 大日本古文書24の74頁
大目 吉田兄人 20.10(見) 大日本古文書24の74頁

「見」は在職が記される場合。「補任」は『公卿補任』,「裂名」は『正倉院古裂銘文集成』

 畿内の範囲を東は名張の横河(名張川・三重県)、南は紀伊の兄山(せのやま)(背山・和歌山県)、北は近江楽浪(さざなみ)の合坂山(逢坂山・滋賀県)、西は明石の櫛淵(兵庫県)と定めたのは、改新詔である。この畿内が「大和・河内・摂津・山背」の四国から構成されていたことは、『書紀』持統六年四月五日条に「四畿内」とあり明らかである。河内国の『書紀』での初見は宣化元年(五三六)五月一日条にさかのぼるが、国制はこれほど古くは考えられない。やはり改新前後ごろに国制も徐々に成立したものといえよう。したがって河内国の確実な存在もそのころとみて間違いなかろう。

 河内国はやがて霊亀二年(七一六)には、大鳥・和泉・日根の三郡が独立し和泉監となる。天平一二年(七四〇)には再び和泉監を合併し、天平宝字元年(七五七)に再度分割され、河内国と和泉国が成立した。この三郡を除くと、河内国には一四郡が知られる。大宝令では郡の下の単位に里があり、郷戸(大家族)五〇戸で一里をつくった。大宝令の里は、霊亀元年(七一五)郷と改称され、さらにその下に里が新設された。しかし天平一一年(七三九)末から翌年にかけて、郷―里制は廃止され国―郡―郷の制度となった。国―郡―郷―里制の時の河内国には、一四郡・九六郷・一九一里があった。しかし国―郡―郷制がしかれ、平安初期には、一四郡八〇郷となっている。この『和名抄』による一四郡八〇郷の郡別分布表が(506)である。

506 河内国の各郡の郷数と等級
郡名 錦部 石川 古市 安宿 大県 高安 河内 讃良 茨田 交野 若江 渋川 志紀 丹比
和名抄による郷数 2 4 4 3 6 4 7 5 8 6 7 5 8 11
養老戸令による等級

 郷または里が律令制下の農民の村にあたるが、その内容については多数の見解があるので、それについてみておこう。