大化改新詔にみえる国―郡―里の制度は、実際には国―評―里制度であって、大化前後に従来の国・県制を再編成するために創設されたものである。評は朝鮮の制度にならったもので、律令制的な地方支配のための制度である。評から郡への移行は、大宝令にみられ、大宝令によって全国にわたって国―郡の制度がしかれた(米田雄介『古代国家と地方豪族』)。国司が管内の軍事・財政権を一手に掌握したのも、大宝令以後である(黛弘道「国司制の成立」大阪歴史学会編『律令国家の基礎構造』)。河内国司を一覧表で示したのが(505)である。
職階 | 人名 | 年月 | 官位 | 出典 | |
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守 | 大石王 | 大宝 | 3.7 | 従五位上 | 続紀 |
守 | 多治比真人水守 | 慶雲 | 4.5 | 正五位下 | 続紀 |
守 | 石川朝臣石足 | 和銅 | 1.3 | 正五位下 | 続紀 |
守 | 賀茂朝臣吉備麻呂 | 養老 | 1.4 | 正五位下 | 続紀 |
守 | 大伴宿禰祜志備 | 天平 | 14.4(見) | 従五位上 | 続紀 |
守 | 百済王敬福 | 天平勝宝 | 2(見) | 従三位 | 続紀 |
守 | 紀朝臣飯麻呂 | 天平宝字 | 2 | 正四位下 | 補任 |
守 | 仲真人石伴 | 4.1 | 従四位下 | 続紀 | |
守 | 阿倍朝臣毛人 | 7.1 | 正五位下 | 続紀 | |
守 | 石上朝臣息継 | 天平神護 | 1.閏10(見) | 正五位下 | 続紀 |
守 | 藤原朝臣雄田麻呂 | 神護景雲 | 3.10 | 従四位下 | 続紀 |
守 | 紀朝臣広庭 | 宝亀 | 1.8 | 従五位上 | 続紀 |
守 | 紀朝臣広純 | 5.3 | 従五位上 | 続紀 | |
守 | 佐伯宿禰国益 | 6.9 | 正五位下 | 続紀 | |
守 | 佐伯宿禰真守 | 10.9 | 正五位下 | 続紀 | |
守 | 阿倍朝臣祖足 | 天応 | 1.2 | 従五位下 | 続紀 |
守 | 巨勢朝臣苗麻呂 | 延暦 | 4.1 | 正五位上 | 続紀 |
守 | 大伴宿禰蓑麻呂 | 7.2 | 従五位下 | 続紀 | |
守 | 大伴宿禰弟麻呂 | 9.3 | 正五位下 | 続紀 | |
介 | 懸大養宿禰古万呂 | 天平勝宝 | 8.5 | 従五位上 | 裂名 |
介 | 当麻真人広名 | 天平宝字 | 3.5 | 従五位上 | 続紀 |
介 | 山田連銀 | 7.4 | 外従五位下 | 続紀 | |
介 | 石川朝臣望足 | 天平神護 | 1.閏10(見) | 正六位上 | 続紀 |
介 | 紀朝臣広庭 | 神護景雲 | 2.10 | 従五位下 | 続紀 |
介 | 阿倍朝臣常島 | 宝亀 | 2.閏3 | 従五位下 | 続紀 |
権介 | 河内連三立麻呂 | 5.9 | 外従五位下 | 続紀 | |
介 | 大伴宿禰蓑麻呂 | 延暦 | 4.1 | 従五位下 | 続紀 |
介 | 百済王善貞 | 7.2 | 従五位下 | 続紀 | |
大掾 | 石川名人 | 天平 | 10(見) | 大日本古文書24の74頁 | |
少掾 | 小治田小虫 | 10(見) | 大日本古文書24の74頁 | ||
少掾 | 石上奥継 | 天平宝字 | 4.1(見) | 従六位上 | 続紀 |
少目 | 会竜万呂 | 天平 | 10(見) | 大日本古文書24の74頁 | |
大目 | 吉田兄人 | 20.10(見) | 大日本古文書24の74頁 |
「見」は在職が記される場合。「補任」は『公卿補任』,「裂名」は『正倉院古裂銘文集成』
畿内の範囲を東は名張の横河(名張川・三重県)、南は紀伊の兄山(せのやま)(背山・和歌山県)、北は近江楽浪(さざなみ)の合坂山(逢坂山・滋賀県)、西は明石の櫛淵(兵庫県)と定めたのは、改新詔である。この畿内が「大和・河内・摂津・山背」の四国から構成されていたことは、『書紀』持統六年四月五日条に「四畿内」とあり明らかである。河内国の『書紀』での初見は宣化元年(五三六)五月一日条にさかのぼるが、国制はこれほど古くは考えられない。やはり改新前後ごろに国制も徐々に成立したものといえよう。したがって河内国の確実な存在もそのころとみて間違いなかろう。
河内国はやがて霊亀二年(七一六)には、大鳥・和泉・日根の三郡が独立し和泉監となる。天平一二年(七四〇)には再び和泉監を合併し、天平宝字元年(七五七)に再度分割され、河内国と和泉国が成立した。この三郡を除くと、河内国には一四郡が知られる。大宝令では郡の下の単位に里があり、郷戸(大家族)五〇戸で一里をつくった。大宝令の里は、霊亀元年(七一五)郷と改称され、さらにその下に里が新設された。しかし天平一一年(七三九)末から翌年にかけて、郷―里制は廃止され国―郡―郷の制度となった。国―郡―郷―里制の時の河内国には、一四郡・九六郷・一九一里があった。しかし国―郡―郷制がしかれ、平安初期には、一四郡八〇郷となっている。この『和名抄』による一四郡八〇郷の郡別分布表が(506)である。
郡名 | 錦部 | 石川 | 古市 | 安宿 | 大県 | 高安 | 河内 | 讃良 | 茨田 | 交野 | 若江 | 渋川 | 志紀 | 丹比 |
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和名抄による郷数 | 2 | 4 | 4 | 3 | 6 | 4 | 7 | 5 | 8 | 6 | 7 | 5 | 8 | 11 |
養老戸令による等級 | 小 | 下 | 下 | 小 | 下 | 下 | 下 | 下 | 中 | 下 | 下 | 下 | 中 | 中 |
郷または里が律令制下の農民の村にあたるが、その内容については多数の見解があるので、それについてみておこう。