和名抄の郷名比定

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『和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)』略して『和名抄』は、平安期の初期承平年間(九三一~八年)に源順(みなもとのしたごう)によって編集された、一種の百科辞書である。編纂時点における全国の国・郡・郷名を網羅しており、貴重な史料である。河内国石川郡については、佐備・紺口・雑居(さわい)・大国郷を、錦部郡については、余戸・百済郷を載せている。これらの郷がどの地に当たるかについては諸説があるが、それを表示したものが(510)である。

510 石川郡・錦部郡の諸郷についての諸説
和名抄の郷名 徳川光圀編『大日本史』 関祖衡編『河内志』 邨岡良弼『日本地理志料』 吉田東伍『大日本地名辞書』 蘆田伊人「河内国」(『国史辞典』)
石川郡佐備 佐備村 佐備村 東板持・山中田・北大伴・南大伴・別井・白木・寛弘寺・神山・中村・上河内・下河内・芹生谷 東条村・千早赤阪村 東条村大字佐備
紺口 甘南備村・竜泉村 甘南備・竜泉 竜泉・甘南備・小吹・中津原・千早・東坂・吉年・桐山・二河原辺・川辺・水分 中村・河内村・白木村・赤坂村 中村・佐備川も属するか
雑居 (新居(にいい)郷とする)今未詳 (新居郷とする)喜志・中野・新堂・富田原・毛人谷・一須賀・大塚・山城 喜志村・富田林村・大伴村 (新居郷とする)新堂村・喜志村
大国 大黒村(古市郡) 大黒村(古市郡) 壺井・通法寺・広瀬 駒谷村大字大黒・壺井・磯長村・山田村 石川村・大伴村
錦部郡百済 今不詳 太井・石見川・小沢・鳩原・観心寺・岩瀬・清水・流谷・唐久谷・石仏・加賀田・新町・滝畑・日野・光滝 彼方村・長野村・新野村 長野町
余戸 南東余部村(丹南郡) 天見村 川上村・加賀田村・三日市村 彼方村大字彼方

 平安初期には両郡の郷は以上のようにまとめられたが、奈良時代にはこれ以外に石川郡に山代郷・波多郷・余戸郷(古代二九)、平安中期には科長郷(古代七六)がある。すでにみたように郷里については諸学説はあるが、たとえ機械的に分けたものにせよ、ある程度のまとまりを郷または里とよんだにちがいない。(510)の諸説にも地域に出入りがあるので、一応まとめる意味でも、諸郷について考えてみたい。

 <佐備郷> 川向・山中田・東板持・西板持・下佐備・中佐備・上佐備・岸之本・竜泉・草野・蒲・甘南備。佐備川の流域である。竜泉に咸古神社があるが、後に移されたものとみる。甘南備の咸古佐備神社(竜泉の咸古神社に合祀)は本郷と紺口郷が、かつては一体であったことを示すものであろう。

 <紺口郷> 奈良朝の波多郷・余戸郷を含んでいると思われる。史料(古代二八)によると養老五年籍では波多郷戸主嶋千嶋が、神亀四年籍では紺口郷戸主となっている。史料(古代二九)では神亀四年籍に波多郷戸主山代直大山とあり、天平一二年籍には紺口郷戸主とある。波多郷はおそらく馬谷川・天満川ぞいの地域で、馬谷・中・白木・今堂・長坂・北加納・南加納・平石・畑などにあたる。余戸郷は河内・東阪・桐山など山間部であろう。紺口郷は南別井・出屋敷・寛弘寺・神山・森屋・水分・川野辺・芹生谷・中などであろう。

511 紺口郷・佐備郷に関係のある咸古神社(富田林市竜泉)

 <雑居郷> 奈良朝の山代郷を含むであろう。山代忌寸は『姓氏録』に「出自魯国白龍王也」とあり、中国系外来氏族とされる。本地域はもともと百済系外来氏族が多いから、雑居の名がでたものかもしれない。白木が新羅を意味するものとすれば(金達寿『日本の中の朝鮮文化』)、波多郷の地を含むものかもしれない。東山・一須賀・大ケ塚・山城・北別井・北大伴・南大伴・新堂・中野などの地であろう。東条川と石川の合流点一帯である。

 <大国郷> 平安中期の科長郷を含むであろう。磯長谷の竹内街道沿いの地域である。桜井・喜志・大黒・壺井・通法寺・伽山・太子・向小路・春日・山田・東条・大道などである。

 <百済郷> 石川ぞいの一帯で、甲田・錦織・汐の宮・彼方・伏見堂・河内長野・高向などであろう。

 <余戸郷> 河内長野市天野と、天見など天見川ぞいであろう(以上の地名は二万五千分の一国土地理院地形図によった)。