施行単位の区分

726 ~ 728

地形図上に復原した石川谷の条里地割は、東西南北の方向にしたがい、各部分が互いによく整合するかの印象を受け、郡界を超えた一元的な計画すら感じさせる。しかし、実際には、微妙なずれがあり、いくつかに区分し得るのである。

 すでに述べた如く、石川郡の五条に相当する部分は東西幅六町に満たない。そして、東条川東岸段丘上に展開する整然たる条里は南北軸が真北から約二度西に傾いており、大伴を中心とした部分や北方の一須賀を中心とした部分と整合しない。独立の工区をなしたことは明らかである。梅川の谷を東に越えた加納地区の傾斜面では、七条に当たり地割はやや乱れるが、六条と一体の計画であったと考えられる。

 五条は東条川が貫流するために、その東西両岸にわかれるが、東岸での六条の東西軸は、西岸の寛弘寺付近では四条の軸となめらかにつながる。したがって、四条と六条の別個に行なわれた計画の中間に、便宜的・変則的に五条が設定されたと考えられる。四条と六条の間では、六町四方の里の設定は同じ規準にしたがっているとし得るほど、このずれはわずかである。

 合流部南方に広がる大伴・山中田・板持の条里は東西軸、南北軸ともによく整合し、一つのものである。

 山中田の南北軸は石川本流を越えて北方の若松町東、中野町東の低い段丘面の条里と完全に整合し、河南町山城、一須賀方面とも、部分的な乱れはあるものの東西両軸とも正しく連絡する。東西軸では山中田・板持と整合する毛人谷・新堂から北方に延びる段丘上の条里地割は、粟ヶ池から若松町西にかけての東西軸が西北方向にやや傾くものの、全体として古市郡内まで連続するものである。

 羽曳野市域の東阪田から高屋方面に広がる条里は南北の軸が東に約三度傾き、高い段丘面の条里も西浦付近で西に折れている。

 以上により、富田林市にかかわる条里地割は、(一)合流部を三方面から取り囲む低い大伴面の段丘と一部氾濫原に広がる部分と、(二)富田林市街地をのせる高い段丘面および、(三)(一)と同レベルの東条川右岸の別井面の三区に区分しうる。

 段丘面によって区分されたが、当時の技術で克服できる高距であっただけに、自然的な条件にさえぎられて工区がわかれたとは考えにくい。(一)の場合、川によって切り離された同じ水準面が見事に一つの工区にまとめられている。

 むしろ、国司、郡司などからの施行令を受けた工事主担者、いいかえればそれらの地域の地方的な支配者の分立を示唆するものではないかと考えられる。