式内社とは

831 ~ 834

全国にわたって我われが見かける神社の数は、莫大な数にわたるが、各々の神社の創建の事情や由緒についてはよくわからないものが多い。皇室の祖先神を祭った伊勢神宮についてさえ、歴史学上ではその起源について、いろいろな推論がなされているのである。ましてや地方の神社となると、確実な由緒や歴史を知ることは、非常に困難である。ただ全国の神社のうちで、確実に延長五年(九二七)には存在したものを知りうる手がかりは、残されている。その年に成立した『延喜式』に、「神名帳」とよばれる全国の神社一覧表がある。

 「神名帳」には、全国二八六一処の神社が載せられており、その分布は(562)のようになっている。この「神名帳」に載せられた神社は、毎年二月の祈年祭(稲の稔りの豊かなことを祈る祭)の時に、朝廷から幣帛(神への奉納物)を与えられた。祈年祭にあたり幣帛を贈られる例の初見は、『続紀』慶雲三年(七〇六)二月二六日条の「甲斐・信濃・越中・但馬・土左等の国の一九社を始めて祈年幣帛の例に入れる。其の神名は神祇官記に具なり。」である。

562 式内社祭神数の全国分布表
宮中 36 美濃 39 美作 11
京中 3 飛騨 8 備前 26
畿内 658 信濃 48 備中 18
山城 122 上野 12 備後 17
大和 286 下野 11 安芸 3
河内 113 陸奥 100 周防 10
和泉 62 出羽 9 長門 5
摂津 75 北陸道 352 南海道 163
東海道 731 若狭 42 紀伊 31
伊賀 25 越前 126 淡路 13
伊勢 253 加賀 42 阿波 50
志摩 3 能登 43 讃岐 24
尾張 121 越中 34 伊予 24
参河 26 越後 56 土佐 21
遠江 62 佐渡 9 西海道 107
駿河 22 山陰道 560 筑前 19
伊豆 92 丹波 71 筑後 4
甲斐 20 丹後 65 豊前 6
相模 13 但馬 131 豊後 6
武蔵 44 因幡 50 肥前 4
安房 6 伯耆 6 肥後 4
上総 5 出雲 187 日向 4
下総 11 石見 34 大隅 5
常陸 28 隠岐 16 薩摩 2
東山道 382 山陽道 140 壱岐 24
近江 155 播磨 50 対馬 29

虎尾俊哉『延喜式』より

 分註にあるように、『神祇官記』という祈年幣帛に関する記録があったらしいが、もちろん現存しない。また一九社というのは、(562)で甲斐などの諸国の神社の祭神を合計した二五四座(二三三社)には、比すべくもない。そこで『続紀』の「幣帛」についての記事を点検してゆくと、注目すべき記事がでてくる。すなわち天平九年(七三七)八月一三日条がそれである。

其の諸国に在て、能く風雨を起し、国家の為に験ある神の未だ幣帛に預がらざる者は、悉く供幣の例に入れよ。

「能く風雨を起し、国家の為に験ある神」とは具体的にどんな神なのか不明であるが、風雨は農耕に欠かせないものだから、拡大して解釈すれば、豊かな稔りをもたらす神と考えてさしつかえなかろう。この命令によって、朝廷から幣帛を与えられる神社は、激増したであろう。さらに『類聚国史』の延暦一七年(七九八)九月七日条には

祈年の幣帛を奉るべき神社を定む。是より先、諸国の祝等(はふり)毎年入京し、各々幣帛を受くる。而して道路僻遠、往還艱多し、今便(すなわ)ち当国の物を用ふ。

とある。祈年祭にあたって毎年諸国の神官が入京し幣帛を受けるのは大変なので、それぞれの国の役所でそれを与えるというものである。もちろん畿内など近国は、従来どおり入京し、神祇官から幣帛を受けることになっていた。こうした幣帛の与え方は後に述べるとして、この時に祈年祭の幣帛を受ける神社が整理された。おそらく一覧表のようなものも、作製されたであろう。

 つまり慶雲三年の『神祇官記』をもとに、天平九年やその後に増加した神社を加え、延暦一七年に集大成された一覧表が作製されたといえる。さらにこれを基本に『弘仁式』の「神名帳」が、ついで『貞観式』の「神名帳」が成立した。これらはいずれも現存していない。つづいてこれらによって、『延喜式』の「神名帳」が成立し、これが現在にまで伝えられている。そして『延喜式』の「神名帳」に載せられている神社を、式内社と呼んでいるのである。

 『延喜式』の「神名帳」は、弘仁式社のつぎの貞観式社を、さらにその後に増加した神社を付加して成立したといわれている(宮城栄昌『延喜式の研究』(論述篇))。