『日本紀略』の寛平三年(八九一)三月一〇日条に、「従五位下の感古佐美神に従五位上を授く」とある。感古佐美神社は音通からみても、咸古佐備神社のことである。咸古佐備神社は寛平三年以前に従五位下の神階が与えられ、この年に従五位上に昇格した。
咸古佐備神社は『特撰神名牒』には、南河内郡東条村大字甘南備字馬田に鎮座するとあり、天太玉命が祭神であるとする。また『大阪府全志』では、明治四二年(一九〇九)一二月二日、咸古神社に合祀されたと記し、現在龍泉寺境内に隣接する咸古神社に合祀されている。
祭神については別に「神挾日命(かむさびのみこと)」とも「紺口県主祖神」とも「佐味氏祖」とも「天太玉命」ともいう。「神挾日命」は佐備の地名からの類推であろうが、『先代旧事本紀』によれば天忍日命の亦(また)の名であり、大伴連等の祖という。「紺口県主祖神」なら神八井耳命、「佐味氏祖」なら豊城入彦命ということになる。「天太玉命」は忌部氏の祖である。いずれを祭神とするかはにわかには決定できないが、名称からみて紺口と佐備に関係したものであったであろう。つまり紺口県の設定と関連し、県が佐備谷を含むために設置された神社と考えられる。旧鎮座地の甘南備は、狭長な佐備谷の最も奥にあり、佐備谷を一望しうる。この地理的な条件からみても、谷の出口にあたる佐備神社に対応して、紺口県の設定とともに設置された神社であろう。