<科長神社>

848 ~ 849

南河内郡太子町山田三七七八に所在する。二上山と葛城山の山境を越える竹内街道の南約五〇〇メートルの地にある。

 祭神は科長津彦で、風神である。水神と同じく農耕に不可欠な神であり、古くから自然神として崇拝されたであろう。その後磯長谷が交通の要所となり、敏達・用明・推古・孝徳天皇陵や聖徳太子陵などが造営されると、いろいろな神がみが合祀された。天照大神(あまてらすおおかみ)・建速素戔嗚命(はやすさのおのみこと)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)・武甕槌命(たけみかづちのみこと)・経津主命(ふつぬしのみこと)・建御名方命(たけみなかたのみこと)・誉田別命(ほんだわけのみこと)・日本武命(やまとたけるのみこと)らがそれである。

 社伝によれば、当初二上山上に祀られ、中世に現地に移動したと伝える。しかし磯長の地名は『日本書紀』にもみえ、古い地名であるから、同じ訓の科長神社も現存地を移動することはなかったと考えられる。

568 科長神社(風の神の神社・太子町)