南河内郡千早赤阪村水分三五七に所在する。葛城山・金剛山から派生する支脈の分岐点にあたり、東条川ぞいの平地部の最奥部にあたる。中世までは少し北方の川野辺に所在したと伝えられるが、さほどの相違はない。東条川は神社の東北約一キロの地点で、千早川と水越川に分れる。水越川はその地点より神社付近を通り、葛城山と金剛山の境の水越峠を経て、金剛山中腹に水源をもっている。水越峠を越えればすぐに奈良県側の葛城川支流の水越川が、その源を発している。奈良県側の水越川をたどれば、古代の大豪族葛城氏の本拠地にすぐ到達する。
祭神は水分神で、水神である。東条川ぞいの平地部一帯の水の源でもあるから、早くからこの地に水神が祭られたのであろう。後に同じ水神である美具久留御魂神社との共通点から、本社を「上の社」とし美具久留御魂神社を「下の社」とよんだという。さらに明治四〇年に本社に合祀された寛弘寺の水汲神社を「中の水分社」とよんだとも伝える。紺口県主の本拠地寛弘寺に水神を祭る神社があったことは、県主の祭祀権の中に本社や美具久留御魂神社を包摂しようとしたものであろう。