南河内郡河南町神山五九五に所在する。神山の地名はおそらく神社の山からきていると思われ、神社の移動はないであろう。本社は金剛山から派生した低平な丘陵の一支脈上に位置する。眼下を東条川が流れ、川ぞいの平地を一望できる場所にある。
近世まで天満宮として祭られ、祭神は不明である。大田田根子命を祭神とする説もあるが、大田田根子は鴨君の祖であるから、名称からの類推であろう。鴨を冠する神社は諸国に散在し、河内国だけをみても、鴨神社(高安郡)・鴨高田神社(渋川郡)の両式内社がある。山城の賀茂神社や葛城の鴨神社は、大社として有名である。本神社に関連するものを強いて考えれば、葛城の鴨神社をあげることができよう。
古来大和と河内の連絡路としては、北方の竹内街道・穴虫街道が著名であるが、葛城地方との連絡を考えれば水越峠越えも充分に連絡路と考えられる。むしろ紺口県の設定は、この連絡路を考えない限り、理解しがたいのではなかろうか。そう考えれば早く葛城地方と交渉を持った人びとが信仰したのが本神社であったといえる。そのため後にこの地方の支配者となった紺口県主は、この神社に隣接した寛弘寺に、自らの祭祀権を確保する目的で咸古神社を設けたと考えられる。