南河内郡河南町一須賀六二八に所在する。大きくいえば葛城山脈の岩橋山から、西へ伸びた支脈の最西端にあたる。支脈は南から北へ流れる梅川によって、この地点でたち切られ、独立丘の観を呈する。比高約二〇メートル程度の低平なこの丘の最西端に、神社は位置している。西方の眺望は開け、石川と東条川の合流点および付近の平地を通して、美具久留御魂神社のある羽曳野丘陵まで、さえぎるものはない。東方の丘陵一帯は、渡来系文化の強い影響下に成立した一須賀古墳群がある。
祭神は不明であるが、「宗我石川宿祢命」とする説がある。「宗我石川宿祢命」は、蘇我氏の始祖という伝承をもつ。宗我と須賀の音通からの類推であろう。蘇我氏のこの地方における根拠地は、磯長谷に求めるべきで、本神社の祭神とみるのは困難である。祭神を推定する手がかりはないが、一須賀古墳群を形成した人びとを中心とする自然神崇拝に起源をもつ神社ではなかろうか。