日本における「中世」という時代の区切り方の言葉は、ふつう、河内源氏の子孫である源頼朝(よりとも)が最初の武家政権である鎌倉幕府をひらいた時から、戦国動乱の終わりまでの時代を示すものとして用いられている。政権の所在地や政治のあり方などによって、さらに細かく、鎌倉時代、南北朝時代、室町時代、戦国時代(南北朝時代から戦国時代までをひろく室町時代とよぶこともある)とよばれている時代の総称である。世界史的にみれば、中世とは、封建制の時代である。日本の中世も、古代いらいの朝廷の政治がつづいているものの、封建制の上にたつ武家政治がおこなわれた時代である。ところが日本では、江戸時代も封建制の時代である。しかし同じ封建制の時代であっても、江戸時代は、政治のあり方も社会のしくみも、鎌倉~戦国時代とはかなり異なっているので、これをとくに近世とよび、戦国時代までの中世と区別している。日本の封建制の時代を前半と後半にわけ、前半を中世、後半を近世とよんでいるわけである。本書の中世編の扱う範囲も、むろん鎌倉~戦国時代の中世であるが、鎌倉時代以下のさらに細かく区切った名称も、適宜用いることとする。
ところで鎌倉時代から中世がはじまるとするのは、日本全体の政治の流れによる時代の区切り方であって、社会の動きからみれば、鎌倉幕府の創設の時から、突然に中世社会がはじまったわけではない。政治上の変化にはるかに先立って、古代=律令制の原則が崩れはじめるとともに、社会は中世にむけてじょじょに動きはじめていた。その動きについては、すでに第一巻古代編第三章第三節「中世への胎動」で述べられているところで、それと一部重複するが、中世の主要な土地制度である荘園制発達の歩みをたどることから、中世編をはじめることにしよう。