八脚門の東側にひろがる平坦地のうち、参道に近い西側部分は、絵図によると西方院の跡地となる。開発に先だって富田林市教育キャンプ場が設置されていたこともあり、平坦地ではあっても、かなりの撹乱が予想されていた。昭和五一年一〇月から五二年一月に墓地造成にともない発掘調査がおこなわれた。調査の結果、柵(杭)列・土坑・溝・建物跡などが検出された。
SA01柵列
調査対象の南側地域から見付かった径五〇~七〇センチ、深さ五~一〇センチをはかる円形の穴三~四個で構成される東西方向の柵列である。本来は調査範囲の南側全体を閉鎖する施設であったと思われるが、開墾などによって失われた可能性が濃い。瓦や土塀を想定できる遺物がみられないことから、板塀のような簡単な施設であったと考えられる。
SB02建物
SA01柵列の西端に位置する建物跡である。検出された柱穴から二間×二間程度の簡単な建物が想定される。おそらく当該坊院の門とみられる。なお穴の径は四〇~七〇センチで、いずれも礎石の抜き跡とみられる。
SD03・04溝
SD03溝は南北に走る幅五〇~九〇センチをはかる溝である。SD04溝は、SD03溝の南端で交差する東西方向の幅五〇センチ前後の溝である。その状況から排水にともなう施設とみられるが、おそらくはこれらに囲まれた本体建物の雨落ち溝と考えられる。
SB08建物
SD03・04溝を雨落ち溝とする建物であるが、礎石痕跡はわずかに三カ所みられるにすぎない。溝の規模から、南北一三メートル、東西八メートル以上の建物が所在したと考えられる。建物内部については開墾によって削平されており、詳細は明らかにできなかった。なお出土遺物の状況から瓦葺き建物の可能性は少ない。
SX07土坑
SD04溝と結ばれているもので、土坑とするより溝がひろがっていたとするのがよいのかもしれない。内部からは少量の瓦と土師器などの遺物が出土している。