嶽山の頂上部分に簡易保険保養所が建設されることとなり、これにともない従来の道路では観光バスなどの通行に支障をきたすことから、一部は従来の道を拡幅して利用し、それが不可能な部分については新たに道路を建設するという計画がだされ、実施されたものである。その内の一部に当該坊院跡が対象となった。このため調査団を組織(団長北野耕平神戸商船大学教授)し、昭和五六年八月~九月に外業調査をおこない、以後一一月まで遺物整理作業をおこなった。この結果、建物七・溝二・土坑二ほかの遺構と瓦・瓦器・磁器・陶器・土師器ほかの遺物の出土をみた。
SB01建物
調査範囲の西側部分に位置する三間×三間以上の柱間を認める建物で、調査で確認された建物中最大のものである。西側の延長は八・八メートル、柱間の間隔は、西側で三メートル、南側で一・五メートルをはかる。
SB02建物
SB01建物の北側半分に納まるような小型の建物である。西側のみの確認であるが、四間×四間以上の柱間をもち、柱の間隔は不揃いである。南をSD10溝によって境されている。
SB03建物
SD10溝を横切るかたちで構築された四間×五間以上の建物である。柱の間隔は不揃いで、SB02建物と規模が近似する。
SB04建物
もっとも方向がかたよる建物である。西側の延長五・二メートルをはかり、五間×四間以上の柱間をもつが、SB01・02・03建物と重複する。重複関係から、SB01~03建物より後出段階のものとみられる。
SB05建物
SB04建物と同様に方向がほかの建物と大きくかたよる。柱間は四間×三間以上で、西側の延長六・一メートルをはかる。柱間の間隔は西側で一・五~一・八メートル。南、北側ともに一・八メートルである。方向からみてSB04建物と同様、後出段階のものとみられる。
SB06建物
SB02建物の、南に位置する。四間×三間以上で、柱間の間隔は西で二・一メートル、南、北ともに一・五メートルをはかる。
SB07建物
SB06建物と方向が一致する建物である。西側の延長六・九メートル、柱間は三間×二間以上である。柱間の間隔は西で二メートル、南で一・五、北で二・一メートルをはかり、統一性がない。
SD10溝
幅〇・三、延長四メートルをはかる東西方向のU字溝である。建物の雨落ち溝と考えるのが自然であるが、どの建物にともなうのか判然としない。
SD11溝
幅〇・三、延長一六メートルをはかるU字溝である。SB10建物の中程で東端が直交することからSD10溝と同様、雨落ち溝と考えるのが自然であるが、どの建物にともなうのか明らかではない。
SX08土坑
東西〇・八、南北〇・七メートルをはかる楕円形の土坑である。内部からは瓦の破片が出土している。SB06建物の南部に位置する。
SX09土坑
東西〇・九、南北〇・八メートルをはかる楕円形の土坑である。内部からは瓦の破片が出土している。SB02建物内部の南に位置する。
以上のように、当該坊院跡では、ほかの同種のものにみない多数の建物が重複した状態で確認されており、かなり頻繁な利用のあった施設であったことがわかる。遺物は、開墾がかなり深くおよんでいるため主要なものが失われてしまった可能性が濃いが、とくに礼拝施設というものはみられず、いずれも生活にともなうものばかりであった。