六 自給された瓦

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 発掘調査で注目された遺跡に、瓦窯跡がある。これらは各地域から確認され、古くは奈良時代前半のものから鎌倉時代後半のものにいたるまで、合計一五基が確認されており、その大半が発掘調査され、一部は現地調査後、埋め戻されて保存されている。

 瓦は、寺院の主要な伽藍建物にはたいてい用いられるものである。その量も相当なもので、数千枚におよぶということは特に珍しいことではない。さらに建築の半ばから後半の段階にまとまって、一時にそれらの瓦が必要となり、その確保ができなければ建物は完成しない。大和地方の奈良時代の寺院や官衙建物にともなう瓦の需要は相当なものであったと考えられるが、たとえば飛鳥寺の場合には、みずからの瓦生産の窯を所有しており、あるいは他の窯からの応援、供給を得ていたと考えられている。さらに大規模な宮都の場合には、大量の消費を賄うために新たに瓦窯が設置されることもあった。平城京に対する平城山瓦窯跡などはその例であろう。また大和飛鳥寺は近接してみずからの瓦窯跡をもち、摂津四天王寺の場合には、初期の瓦を京都府八幡町と大阪府枚方市の境の丘陵上に位置したくずは(八幡山)瓦窯跡などから、さらに奈良時代には摂津三島地方の梶原寺に所属する瓦窯から供給を受けていたことが、発掘調査の成果や『大日本古文書』などの文献史料などから知ることができる。

 このように著名な寺院の場合、というよりは官寺的な色彩の濃い場合には、より簡単にその供給が受けられると考えられる。一方、龍泉寺などのように豪族の帰依によって創建された私的な寺である氏寺の場合はどうであっただろうか。

 河内、とりわけ南河内地方の古代寺院の瓦の文様を検討すると、表9に示したように共通する文様を使用している寺院がいくつかみられることがわかる。これらは、共通する生産地から求められた瓦であることが容易に推定される。

表9 南河内の古代寺院にみる瓦文様の近似性
寺院名称 所在地 氏族名 近似する文様をもつ寺(跡)など
葛井寺 藤井寺市 葛井氏

善正寺跡、弘川寺、観心寺

野中寺 藤井寺市 船氏 龍泉寺、

善正寺跡、弘川寺、観心寺

西琳寺 羽曳野市 西文氏 平城京、

葛井寺、善正寺跡、弘川寺ほか

善正寺跡 羽曳野市 津氏

葛井寺、弘川寺、観心寺

新堂廃寺 富田林市 龍泉寺、大和川原寺、平城京
龍泉寺 富田林市 蘇我氏 野中寺、新堂廃寺、興福寺、平城京
弘川寺 河南町

葛井寺、善正寺跡、観心寺

注)__*は同じ文様の軒丸瓦である。

 しかし龍泉寺の場合には、共通するのは、わずかに富田林市新堂廃寺の複弁蓮華文軒丸瓦の一つと共通し、野中寺忍冬文軒丸瓦の内区文様が共通するという程度である。この場合、野中寺の瓦とは全体構成では異なることが明らかであり、同一生産場所とはいえないだろう。また新堂廃寺の場合は、それらの瓦が生産された窯跡が近接して確認されてはいるが、当該共通の文様の瓦は確認されていない。とするとその瓦が龍泉寺の瓦窯で生産されていたとしても不思議はない。あらためて両寺院の関連が、今後注目されることになるだろう。今後の展開はともかくとして、ここでは瓦窯跡の実態についてのみ記述しておきたい。