伽藍の所在する平坦地から東側に、一段大きく下がる部分がある。すでに触れた坊院、満福院が所在したと考えられる候補地である。発掘調査では、ほぼ等間隔に三基の窯跡が確認され、さらにそれらの北側に一基崖の断面にかろうじて窯跡が存在したということがわかる状態のものが、確認された。
調査した窯跡は、確認した順に一・二・三・八号窯跡と命名した。一号窯跡は焚口を失っていたが、燃焼部は残されており、その延長〇・七メートル、最大幅一・一メートルをはかる平坦面である。焼成部は、長さ一・五メートル、幅〇・九メートルをはかる長方形をなし、三本の焔道と二本のロストルによって構成されている。焔道の幅一〇~一五センチ、高さ一五~二〇センチをはかる。床面は一二度の傾斜で奥へ上っており、側壁は床に対して直角である。側壁は、いずれもスサをまじえた青灰色に還元焼固した貼り壁である。焼成部での平瓦の遺存は一七点で、横に三列並べられていたことがわかる。ところでここでいうロストルというものは、窯体の焼成部、すなわち製品である瓦を詰め込み焼く場所である。図示したように(図12)、製品である瓦を二段ないしは三段に積み上げていく棚床の役割をはたしていたものである。なお二号窯跡は窯体の保存状態が悪く、天井なども崩落していた。構造・規模ともに一号窯跡と同じである。三号窯跡は、二号窯跡の北一・五メートルに位置し、焚口の標高は一七九・三七メートルをはかる。燃焼部の最大幅一・〇六メートル、床面傾斜角四〇度で、天井部が一部残されており、床との高さは〇・七メートルである。床には二~三センチの炭灰層の堆積がみられたが、遺物は含まれていなかった。焼成部は三本の焔道と二本のロストルで構成されており、ほぼ長方形のプランを示す。床面の傾斜は八度である。内部からの遺物は、一・二号窯跡と同様に瓦が大半であるが、当該窯跡では瓦質甕、瓦器が多く検出された。これは当該窯跡でこれらの製品が焼成されていたと考えるほかはなく、二次堆積、あるいはほかからの混入は考えにくい状況である。八号窯跡は、三号窯跡の北一メートルから痕跡のみが確認された窯跡である。構造的には一~三号窯跡と同じで、ロストルをともなう平窯である。おそらく一~三、八号窯跡は、同時に操業していた可能性が濃いものと考えられ、時期的にも同じと考えられる。