河内狭山藩北条氏は、河内南部の丹南郡池尻村(現大阪狭山市)にその陣屋をおき、立藩した畿内の一小藩である。藩主の北条氏は戦国乱世の英雄北条早雲の子孫であり、小田原城によって豊臣秀吉に反抗した後北条氏の流れをくむ一万石の名門の畿内小藩である。狭山藩の立藩事情は『狭山町史』第一巻にくわしいが、略述するとつぎのようである。
天正一八年(一五九〇)七月、北条氏政・氏直父子は小田原城で秀吉の包囲にあい、降り、氏政と弟の氏照は自刃したが、氏直と伊豆韮山(にらやま)城主たる氏規(うじのり)は、秀吉から赦免された。他方、高野山に追放されていた氏直は、天正一九年に関東で九〇〇〇石、近江で一〇〇〇石を与えられ、同年一一月河内の天野山で没した。氏規は天正一九年八月に秀吉から河内国丹南郡桑村(日置荘地方)で二〇〇〇石を与えられ、文禄三年(一五九四)一二月の知行目録で、河内国錦部・丹南・河内の三郡で約六九八八石余を秀吉からうけた。錦部郡の知行地を知行目録からあげてみると、つぎのとおりである。
(懸紙)「北条美濃守とのへ」
知行方目録
(前略)
同(丹南郡)
一百六拾石壱斗九升 (付箋)「此内四拾八石不足」 いわむろ村内
一参拾八石三斗五升 西郡つゝ山内
一三百五拾八石四斗八升 同にしこほり村内
(中略)
一四拾九石八升 (付箋)「四拾八石いわむろ不足たしの分合九十七石八升」 同おちかた村内
一弐百拾九石五斗 同うれし村
(中略)
合六千九百八拾八石弐斗
右今度以二検地之上一、改令二扶助一之訖、可レ全二領知一候也
文禄三年十二月二日(朱印)(豊臣秀吉)
北条美濃守(氏規)とのへ
以上の史料の示すとおり、市域の廿山村の内、錦郡村之内、彼方村の内、嬉村の四カ村がのちの狭山藩北条氏の所領となり、市域の村々と北条氏とが関係をもつことになった(『狭山町史』一・二)。
この史料で付箋で記されている彼方村の領地高につき、ふれておきたい。慶長一三年(一六〇八)二月片桐且元の指揮下、林又右衛門尉、小嶋吉右衛門尉、玉井助兵衛らの現地の普請奉行で実施された狭山池の大改修は、文字どおり、狭山池の面目を一新した大普請であった。池の面積の拡大とともに、狭山池の西方にあたる今熊・茱萸木(ぐみのき)・半田などの諸村のうちで、地勢上、池敷となった土地が存在していた。岩室村の四八石分が該当したので、代地として四八石分が与えられたのである。そのため狭山藩の彼方村における知行地が増加し九七石余となって明治の初年にいたっている(『狭山町史』二『狭山池改修志』)。
さて、氏規のあと、狭山藩の初代とされた氏盛があとをつぐが、彼は天正一九年一二月下野国都賀郡で四〇〇〇石を与えられていた。秀吉の死後、慶長五年に家康などから、実父の氏規の遺領河内国約七〇〇〇石が安堵せられ(『狭山町史』二)、下野国四〇〇〇石とあわせて河内狭山藩の所領となった。
二代目氏信は元和二年(一六一六)に狭山池の東北の池尻村に陣屋を建て、藩政の基礎をかためた。以後、一二代の氏恭まで、河内国以外の四〇〇〇石は、下野から常陸へ、また下野へと戻り、元禄一一年下野から近江へと移るが、その後は固定した。河内の所領も元禄・宝暦年間の二回にわたり、若干の異動はあった。元禄一二年に岩室・今熊の両村を上知し、古市郡軽墓・西浦(一部)両村をうけ、宝暦一一年(一七六一)に丹南郡野中・多治井・宮の三カ村を上知し、丹北郡東我堂・西我堂・矢田部・南枯木・北枯木・芝の諸村と、大県郡神宮寺・大県・平野(一部)の諸村をうけている。河内国から一回の転封もなく、そのまま、明治初年の廃藩を迎えた。幕末期の領地は表22の通りである。市域の藩領村も領主の交替もなく、在地藩として、近世前期から地域の住民に親しい関係をもったのである。
国名 | 郡名 | 村名 | 村高 |
---|---|---|---|
石 | |||
河内 | 丹南 | 池尻 | 1119.34 |
郡戸 | 445.24 | ||
丹上 | 617.323 | ||
真福寺 | 269.1112 | ||
今井 | 316.41 | ||
錦部 | 滝畑 | 231.56 | |
石見川 | 43.0 | ||
鳩原 | 202.05 | ||
小深 | 46.62 | ||
太井 | 86.09 | ||
小塩 | 208.46 | ||
河合寺 | 154.814 | ||
嬉 | 219.6 | ||
向野 | 163.1381 | ||
錦郡 | 358.48 | ||
彼方 | 97.08 | ||
廿山 | 63.1486 | ||
加太新田 | 25.5677 | ||
錦郡新田 | 51.448 | ||
古市 | 軽墓 | 308.6519 | |
西浦 | 455.551 | ||
丹北 | 東我堂 | 317.706 | |
西我堂 | 311.114 | ||
矢田部 | 988.488 | ||
南枯木 | 150.28 | ||
北枯木 | 109.017 | ||
芝 | 303.293 | ||
大県 | 神宮寺 | 338.955 | |
大県 | 439.429 | ||
平野 | 109.954 | ||
河内 | 福万寺 | 20.0 | |
出雲井 | 52.7 | ||
小計(A) | 8614.3136 | ||
近江 | 滋賀 | 途中 | 499.136 |
栗太 | 野 | 324.625 | |
川原 | 474.782 | ||
蜂屋 | 195.224 | ||
甲賀 | 田代 | 130.66 | |
野洲 | 辻町 | 313.952 | |
欲賀 | 1063.719 | ||
小計(B) | 3002.098 | ||
総計 | 11616.4116 | ||
(A)+(B) |
注)「河江御領内御高附帳」(慶応3年)神奈川県立博物館蔵、別所亨『狭山藩史稿』(稿本)などによる。