大久保氏は徳川家臣の内でも名家の一つである。幕府の創業期から将軍を助けて活動し、相模の小田原城を本拠として、大久保忠世(ただよ)・忠隣(ただちか)らは幕府政治を推進する中心的役割を果たした。忠隣は、陰謀をたくらんだとの訴えで、慶長一九年一月、出張中の京都で改易され、近江へ配流された。小田原城は、阿部氏や稲葉氏が相ついで入部したが、貞享三年(一六八六)正月、大久保忠朝は、下総佐倉より、一〇万三〇〇〇石余をもって入封し、ゆかりの地小田原城へ帰り延宝五年(一六七七)老中の職にあり、幕閣の一員として活躍した。大久保氏は、以後、忠増・忠方・忠興(ただおき)・忠由・忠顕(ただあき)と経過したが、概して、大久保氏にとり苦悩の時期で、藩主として顕著な治績も乏しく、幕府の要職から離れていた。
父忠顕についで、寛政八年(一七九六)正月に、一一万三〇〇〇石の家督をついだのは、大久保忠真(ただざね)である。彼は寛政一二年八月に奏者番、文化元年(一八〇四)正月に寺社奉行となり、同七年六月大坂城代に就任し従四位下に叙せられた。同一二年四月京都所司代となり侍従とされたが、文政元年(一八一八)に老中に就任し、天保五年(一八三四)勝手掛老中と昇進の途を歩んだ(「相模小田原大久保家譜」東京大学大史料編纂所所蔵)。藩政にも意欲的に取り組んだと言われ、家臣たちの家格を引上げ、切米取りの下級家臣を多く知行取り家臣にしたり、その他、人材の登用、学問・武芸の奨励、二宮金次郎の任用による財政難打開策など、多くの政治改革を積極的に実行した藩主でもあった。
小田原藩大久保氏は元禄七年(一六九四)河内国交野・讃良・茨田の三郡で、およそ一万石の飛地領を与えられた。延享四年(一七四七)、茨田・讃良両郡で一〇カ村、計三六四八石余の所領が上知されたが、残る交野郡一六カ村は明治初年まで小田原藩領として残り、摂・河地域に親しい関係をもった領主の一人であった。そして文化九年には大坂城代への就任を期とし、美作国久米北条、久米南条、勝北諸郡全村が上知され、代知として河内・摂津で約二万四二九四石余が与えられた。河内では交野郡の村々につづいて、河内・丹北・志紀・石川・高安・丹南・若江・安宿部・古市・大県の各郡にわたって、広い範囲に所領が与えられ、摂津国住吉・東成の二郡の村々まで含め二カ国一三郡に及んでいた。その後にも関東領を中心に、文政三・一〇・一二年、天保一四年と村替があったが、河内国の所領の村々はいずれも上知されず、明治初年に及んでいる(『神奈川県史』通史編三、『枚方市史』三)。摂・河両国の所領の一覧は表34のとおりである。市域では南別井・北別井・山中田の三カ村が小田原藩領で、明治初年まで変わらなかった。文化九年の村替の理由はくわしくわからないが、すでに、寛政三年、家臣が老中松平定信に美作領は年貢量が少なく、藩の財政の困窮化を促進すると訴えたらしく、忠真の大坂城代の就任を機とし、経済的に生産力の高い摂・河両国の村々への村替を訴願して、その結果、実現したのであろう(『神奈川県史』通史編三)。
国名 | 郡名 | 村名 | 村高 |
---|---|---|---|
河内 | 交野16カ村 | 灯油 | 320.942 |
打上 | 308.685 | ||
森 | 334.659 | ||
星田 | 109.800 | ||
私部 | 512.893 | ||
郡津 | 280.155 | ||
春田 | 658.627 | ||
片鉾 | 5.391 | ||
甲斐田 | 586.683 | ||
禁野 | 255.466 | ||
渚 | 1329.091 | ||
小倉 | 202.529 | ||
坂 | 167.160 | ||
田宮 | 201.047 | ||
出之上 | 563.477 | ||
茄子作 | 525.895 | ||
河内5カ村 | 六万寺 | 733.284 | |
出雲井 | 168.2 | ||
横小路 | 216.148 | ||
芝神並 | 273.069 | ||
植付 | 303.37 | ||
丹北5カ村 | 東出戸 | 662.165 | |
西出戸 | 257.808 | ||
東瓜破 | 1770.819 | ||
六反 | 709.925 | ||
城蓮寺 | 291.197 | ||
志紀4カ村 | 天王寺屋新田 | 136.116 | |
市村新田 | 484.058 | ||
二俣新田 | 301.96 | ||
船橋 | 69.51 | ||
石川5カ村 | 南別井 | 246.168 | |
北別井 | 267.012 | ||
山中田 | 454.412 | ||
一須賀 | 197.4376 | ||
一須賀 | 543.6164 | ||
高安2カ村 | 大窪 | 200 | |
万願寺 | 520.597 | ||
丹南5カ村 | 大野新田 | 37.457 | |
大野新田 | 16.502 | ||
藤井寺 | 513.493 | ||
半田 | 963.653 | ||
平尾之内 | 376.31724 | ||
若江5カ村 | 柏村新田 | 207.332 | |
山本新田 | 648.058 | ||
菱屋東新田 | 456.002 | ||
玉井新田 | 171.984 | ||
新喜多新田 | 302.83 | ||
安宿部3カ村 | 片山 | 349.093 | |
北円明 | 244.877 | ||
南円明 | 182.589 | ||
古市1カ村 | 西浦 | 665.819 | |
大県8カ村 | 本堂 | 74.344 | |
北法善寺 | 335.495 | ||
高井田 | 276.473 | ||
北畑 | 471.011 | ||
南畑 | 292.864 | ||
平野 | 295.944 | ||
南法善寺 | 366.488 | ||
青谷之内 | 203.862 | ||
摂津 | 住吉11カ村 | 住吉 | 1730 |
遠里小野 | 975.4782 | ||
杉本 | 635.75 | ||
桑津 | 407.44 | ||
我孫子 | 785.409 | ||
前堀 | 117.541 | ||
寺岡 | 816.176 | ||
大豆塚 | 213.607 | ||
猿山新田 | 57.886 | ||
奥 | 321.273 | ||
山之内 | 411.474 | ||
東成5カ村 | 岡 | 244.662 | |
阿倍野 | 403.139 | ||
林寺 | 401.273 | ||
舎利寺 | 205.692 | ||
国分 | 815.451 |
注)『神奈川県史』史料編より作成。