金剛山麓の入口に位置する甘南備・龍泉・佐備村は佐備川やその支流の中津原川、蒲川、別井村は東条川を水源としていた。また、これらの村は、千早川や東条川の水利について、現在の千早赤阪村・河南町・太子町などに属する村々を含めた、広域的な水利関係を形成していた。ここでは、富田林東部の水利について、畑田井路と虎ケ池の動向を中心に検討してみよう。この地域の水利に関しては、野村豊が精力的に記録の収集と分析にあたり、昭和二八年(一九五三)に『水利史料の研究』(以下『水利』と略す)を上梓し、続いて、昭和四二年(一九六七)には林総夫が『河南町誌』を完成した。さらに最近では、富田林市の小学校の社会科副読本に教材として取り上げられ、虎ケ池の築造と利用について詳しく説明されており、この教材の準備過程において、虎屋七兵衛の役割が確認されるなどの新しい史実が明らかにされた。