天保一五年の不帰依一件

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二株分離は、以後ほぼ八〇年間も続いた。狭小な村が二株に分かれていることは極めて不自然な状態であったから、その間、しだいに株分けの意味が失われていったのは当然であった。古株・新株の住民・屋敷・持高が入り乱れて人別が混乱し、村政に多くの支障が生じるようになったからである。支配代官が交代したとき代官役所に提出された村明細帳を見ると、享和元年(一八〇一)篠山十兵衛役所宛のものは、古株分・新株分が別帳として作成された。しかし、天保一四年(一八四三)都築金三郎役所宛のものは、古株・新株の区分がない一冊の村明細帳であった。村役人は、庄屋一人・年寄二人・百姓代四人からなり、庄屋は古株の住民が勤め、年寄・百姓代は両株から出ていた。いま詳細は明らかでないが、二株に分かれながら、実質上は両株が一体となって村の運営に当たっていたのではないかと考えられる。

 天保一五年八月には、「惣百姓」が庄屋と新株の年寄一人とを相手取り、不帰依の訴願をおこした。その理由は以下の一八カ条からなるが、いくつかは、安永二年(一七七三)の訴願のときと同じような内容であった(近世Ⅲの二一)。

(1) 「先打」された年貢は、翌年八月清算されている。古株では、不足銀の取り立てには利息が付くが、過銀にはそれがない。

(2) 年貢免状や年貢割方帳面は、小百姓はもとより惣代にも開示されない。

(3) 村入用の増大が著しく、先年は高一石につき銀二五、六匁であったが、いまは同三八匁ほどになっている。割方帳面を開示しないので、役所にて取り寄せ、毎年提出している小入用帳面と照合してもらいたい。

(4) 先年米価が高値のとき、小前夫食(こまえふじき)手当てとして銀子を拝借したが、返済にあたって不法な取り立てが行われている。

(5) 高札場の周囲に非常手当てとしての除地がある。庄屋はこれを村民に貸し付けて銀一〇匁の宛行銀を収得している。

(6) 「宮懸り」と称して氏神入用が村民から取り集められているが、その銀高と神主に渡されているそれとは違い過ぎる。過銀の使途が明らかでない。

(7) 代官役所の出役が村内に休息ないしは宿泊のとき、村役人が出勤料はもとより座料・道具損料などを徴収し、ほかにも多分の雑用をかけている。

(8) 役所から救米銀を下付されても、使途が不分明である。

(9) 会所積立銀を庄屋・年寄に預けたところ、勝手に流用している。

(10) 役所へ用向きにて出勤のとき、諸用を兼ねて出向き、出勤料を二重取りしている。

(11) 先年、村民が法度の博打(ばくち)をしたことが露見したとき、大坂出張所に召喚された。本来なら吟味のうえ大津役所に差し出されるところ、嘆願して出張所で「済切」となった。その礼金として、村内では九両一分二朱が取り集められたが、役人へは金二両二分しか渡っていない。ただし、後日役人からは返金されたので、全額使途が不明である。

(12) 土居が大雨で崩壊して修復したとき、普請用の石を隣村から購入したが、庄屋は大石一二個ほどを自宅に運び込み、村方の支払とした。

(13) 頼母子講の講銀を不当に取り込み、講の運営に支障をきたしている。

(14) 先年村支配の家屋敷があったころ、庄屋は家賃を取り込んで年貢上納を村小入用で処理していた。さらに、その後この家屋敷が売却されたときも、一部を村小入用に繰り入れただけで、余銀を自分のものにした。

(15) 村境の橋が洪水で流失したとき、庄屋は多額の架橋費用を村から徴収して、自己保有地の崩所修復にも充当した。

(16) 昨年神輿(みこし)が再建されたとき村民から取り集められた銀高は、神主に渡されたそれより大いに過分であるが、過銀の使途が明らかでない。

(17) 天保一二年、丹南郡高松村(現堺市)の村民が札元となって「高松札」という銀札が発行された。富田林村では、庄屋と同じ古株に属す村民が引受人となり、通用を呼びかけた。ところが、札元に問題があって公儀から銀札の回収が命ぜられ、村内の通用銀高については引受人が補償するよう申し渡された。このような銀札の引き受けを認めた庄屋の落ち度は明らかであるが、いまだに補償が行われず、村中が難渋している。

(18) 先月代官役所の出役が来村したとき、出役には規定どおりの粗末な取り計らいしか行わなかったのに、村方へは多分の入用を掛けている。

 以上のとおり、庄屋・年寄の村方取り計らい方が万端不取締であるとして、不帰依が訴願された。出訴した「惣百姓」とは、庄屋・年寄の近親者四人を除く高持村民九〇人で、無高は含まれていなかった(富田林仲村家文書「任一札」)。

 都築金三郎役所は、この訴願を聞き届け、「六十日切日済方」すなわち二カ月以内に談合和解するよう命じた。村方では、浄谷寺住職によって調停が行われ、同年一〇月には庄屋・年寄の退役、村小入用帳を初めとする諸帳面・古記類の村方への譲渡などを内容とする「一札」が作成され、役所には「差上申済口証文之事」が提出されて、この一件は落着した。