富田林街道については、その経路は、堺近郊の長曽根村の出在家たる黒土村から分かれ、日置西村を経て、美原町域の丹南郡の両余部村や阿弥村の近傍を通過し、平尾村にいたり、ここで和泉方面から大和へ向かう街道と合流する。合流した後は、喜志村へ向かう道と富田林寺内町へ向かう道とに分かれる。喜志村方面へ山越えすると、同村で東高野街道と交差する。ついで、喜志川面村で石川を渡り、太子町方面へ向かい叡福寺の前を通って春日村に出て、山田村を通り、竹内峠から大和に入る。他方、平尾村から富田林寺内町への道をとると、平尾峠を越え坂を降り毛人谷村から、富田林寺内町へと進んでゆく。
さて、江戸幕府の近世の国絵図などには上記の諸街道が描かれている。そして、宝暦八年(一七五八)七月や、天保一四年(一八四三)七月の平尾村絵図には、この両方の道が村の聚落の内で交差し、それぞれの行先が「堺道―石川富田林道」と「泉州ヨリ伊勢道―喜志村領大和道」と記されている(美原町史編纂室所蔵絵図)。現地の状況図31は、和泉方面からの大和道を東進すると、南東方向に分岐する道(前述の富田林寺内町へ向かう道)があり、その分岐点に、「右さかい左ふく町道」「南金剛山東いせ道」と刻まれている1⃣道標がある。さらに東方へ向かう道(前述喜志へ向かう道)をとり、およそ一〇〇メートルほど行った地点でまた南方へ分かれる道のある分岐点に出るが、この分岐点の東南角に小さな2⃣地蔵祠がある。その傍らには街道を挟んで一対をなすように太神宮燈籠が二基あり、3⃣道の南側に立つものは「文政十三庚甲(寅)九月、太神宮 御影」とあり、4⃣北側に立つものは「明和八年五月 太神宮」と読める。これらは明らかに伊勢大神宮へのおかげ燈籠である。これらの存在からこの道は、大和方面やお伊勢参りの旅人の往来する道であり、またこのあたりが喜志・富田林への分岐点であることから、道に迷わぬよう道標が置かれたものと推測される。
ところで竹内街道は古代国家の官道として設けられ、多くの伝承とロマンを語る道として著名である。堺方面から南河内を横断して、大和との国境を竹内峠で越えることから、この名で呼ばれたとされ、一般的には、古代の丹比(たじひ)道の後身といわれている。ところが近世では、「河内国正保国絵図写」をみると、いわゆる竹内街道のコースよりも、より南側にある前述した東西横断の道(すなわち富田林街道)を、「竹内海道、境(堺)江出ル」と記しており、平尾村で富田林寺内町への分岐の道を記して、支線として細く描いている。しかも、いわゆる竹内街道については、穴虫街道と記されており、石川を渡り飛鳥村に達し、穴虫峠にいたっている。なお、寛文一二年(一六七二)の「河内国大絵図」でも、いわゆる竹内街道は穴虫峠を越える穴虫街道として描かれ、富田林街道は竹内峠を越える竹内街道として記載され、「河内国正保国絵図写」の記事がそのままである(柏原市三田実氏所蔵文書)。大分県竹田市郷土資料館所蔵である「摂河両国大絵図(仮称)」は一七世紀中ごろの摂河両国の、河川堤防の修築・普請を対象として描かれているが、この大絵図には主要な両国の街道が、いずれも朱線で記されている。堺から南河内を横断して大和へ向かう道筋が、竹内越・穴虫越・亀瀬越のほか竜田越を記すなど、一七世紀の終わりごろまでは、「正保国絵図写」に記した道路交通体系が、そのままで変更のなかったことが知られるのである。
さて平尾村から喜志へ向かう街道をたどる。平尾村を出ると道はやがて羽曳野丘陵の山中を行くことになるが、残念なことに丘陵中の美原町域部分は新興住宅地(現美原町さつき野)の開発のために完全に破壊されてしまい、まったく痕跡をとどめていない(図31)。ちょうど本市との境から旧道があらわれ、どうにか喜志までたどることができる。喜志の平野部に入り、先に述べた巡礼街道および東高野街道と交差して喜志大深村(現喜志町二丁目)にたどり着く。さらに喜志川面村から、石川の喜志の浜までの道をたどってみよう。東高野街道との交差点から分かれて、喜志大深村の集落の内を進むが、途中で小さい5⃣地蔵祠がある。さらに村の東の外れに近く6⃣延命地蔵尊が祭られている。土地の人の話によると、河南町方面から移されたものと伝える。喜志川面村には、7⃣太神宮常夜燈があり、「安永七戌正月吉日」「川面中」と刻まれている。その近辺に8⃣金毘羅夜燈があり、「村内安全」「川面中」「嘉永五年三月吉日」と読める。金毘羅信仰は、いうまでもなく、讃岐の金毘羅宮に対する信仰で、海洋航行の守護神として近世の近海航行の盛行につれて、各地から広い信仰をあつめた。廻船業者によるおびただしい寄進奉納品は、こうした事実を雄弁に物語るものといえる。各地の村落では献燈の風をもたらし、各所に石燈籠を残している。喜志の浜という河川交通の廻船の終点に建てられていることは、意義深いと思われる。この金毘羅燈籠から川岸へくだると、喜志の浜の舟着場に到着するのである。