天保期の庄屋不帰依

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その後、三〇年ほど経過して北大伴村では、天保九年(一八三八)五月、与治右衛門以下二一人の者が、笠形連判状にて、庄屋彦三郎に対し、わがままな行為を指摘し、不帰依を申し立てた。同年六月一三日には、西村喜三太が重病のため、死去している。それらの動向と相前後して、北株惣百姓たちが連印し、百姓惣代の治郎兵衛と政右衛門両人を代表として、同年六月、代官小堀主税役所へ訴え出た一件があった。訴願に際し、北株だけでなく、南株も同様な動きであるので、南株の半六がともに願い出た。それには株分けの後、北方の彦三郎が身勝手な行動が多く、二〇カ年間の年貢収入や諸勘定も不分明で、村方一同より不帰依であるため、退役を願いたい。むしろ実体に勤める南株の庄屋喜三太により、南北両株を合体し一株にして貰いたいとするのである。その具体的な要求内容は多岐にわたるが次のように要約できる。

(1)庄屋彦三郎は年貢納入の精細な勘定が未済で「年貢通」も返却しない。

(2)北株の村方小入用は南株より余分に掛り、百姓が難渋する。

(3)貯夫食囲穀(たくわえふじきかこいこく)の明細が不明。小前百姓への貸渡し米はない。

(4)水野忠邦領時代の先納差出銀、御講加入銀の明細勘定が不明で明細を示してほしい。

(5)庄屋彦三郎は道具株を所有していた。小前困窮して諸色売却の代銀を自己に取り込み、勘定不分明。

(6)村方死没者の田畑を勝手に処分し、諸勘定が不分明である。

(7)彦三郎は家屋敷の道路筋へ勝手に張り出して建て増しした。

(8)彦三郎は石川郡油屋仲間の中心であるが、他村からの菜種買入者に妨害をなし、売捌先が手狭で村方が困窮する。

(9)昨年米価騰貴の際、北方の有力百姓七人からの寄付銀と六斗の作徳米の、分配始末および明細勘定が不明である。

(10)昨年の飢夫食銀の下付に際し、北方百姓の中では裕福者へも渡したので、政右衛門が不審に思い昨年七月抗議したところ、彦三郎は喧嘩口論を申し立てた。

写真205 村方庄屋不帰依一件録 (三嶋家文書)

 前文にも述べたように、不取斗いや勘定不明などで抗議したが、彦三郎は聞き入れず、ますます増長わがままで施すべき手段もなく訴願にふみ切った。どうか聞き届けてほしいというのである。その内容は村政上の万般にわたり、年貢・村小入用銀などの割賦など公金の会計勘定上の不分明、村役人の地位を利用しての、公私にわたる専断的な行為などを指摘し、庄屋への不帰依を訴えるものであった(北大伴三嶋家文書「以書付言上」など)。

 さらに、二カ月くらい経過した同年八月一九日になり、北大伴村の惣百姓が、春日村兼帯庄屋一郎右衛門、年寄半六と七郎兵衛、百姓代長左衛門・政右衛門・治郎兵衛の名前を連ね、小堀役所に訴願している。今回の訴願については、三宅村庄屋新兵衛と春日村庄屋一郎右衛門との両人が、取噯を担当した。ところが取噯衆中からは彦三郎を対象とする以外に追加の条項が出され、支配役所へ相談したが確答を得なかった。しかし取締議定書に入れるべきところ、彦三郎が追加条項を除外するとのことで、出入訴訟が解決せず、ひいては、村方騒動の原因となるのでなげかわしい、と申し述べている。追加の条項を具体的に述べたい(北大伴三嶋家文書「天保九戊戌年六月十三日村方庄屋不帰依一件録」)。

写真206 村方庄屋不帰依一件録 (三嶋家文書)

(1)文政八年(一八二五)国役堤の修復に際し囲堤普請を実施、そのときの経費残額銀五四〇匁余を両株庄屋に預け置いたが、その後始末勘定が不分明で、取り調べてほしい。

(2)彦三郎所有田畑に雑木が茂り、下部にある田地を妨害するので、切り取るよう仰せ付けられたい。

(3)東条川筋洲寄砂畑の作付収入について、彦三郎の勝手な処置を排し、元どおり氏神への献燈料にしてもらいたい。

(4)享保一一年(一七二六)からの彦三郎の常念寺への祠堂料納入の記述が寺の過去帳に記載なく、古証文を調査してほしい。

(5)宝永七年間の開敷請負古証文が、彦三郎方にあるようだが、庄屋喜三八が病死し、北大伴村の事情が不明である。古証文をよく調査してもらいたい。

(6)字牛神の地の開拓は先庄屋西村周助のときで、作徳米を村内両寺の三宝供養料としていた。文政七年から、彦三郎に対し村方入用に充当するよう申し出、また、以前のように両寺修覆料にしたいと思い取締奥書に記すと、彦三郎から異議があり、流作地を除くよう申し出たので、領主への訴願となった。どうか御沙汰書を下してほしい。

(7)前条の流作地の作徳米の受取銀は、彦三郎が取り込んでいるので、早く村方へ差し出すよう仰せ付けられたい。

(8)当年閏四月に、先庄屋西村喜三太から下付銀のうち、金壱両一歩(銀七六匁二分五厘)を受取り、残額一貫五七八匁一分五厘は、村方入用銀のことがあるので払方に充当したく、相渡してほしい。

(9)南株茂兵衛地所の続きに彦三郎が納屋をたて、境界地を取り込んでいるので茂兵衛から善処方を重ねて願入れがあった。土地台帳を調べ、はみ出た分を切り取ること。

(10)北大伴村紺屋運上の村内割賦で天保三年に紛議があった。このままでは村方混雑の原因なので、結末をつけてほしい。

(11)彦三郎屋敷内の水路につき自由に流れ、隣家清助が困惑している。彦三郎屋敷内の水抜きを中止してほしい。

 以上のように彦三郎の悪行振りを公私にわたり具体的に列挙し、北株惣代からの願書にふれ、調査吟味のうえ村方の願いを取り捌いてほしいと申し出た。北大伴村の惣高持一同は彦三郎一件で、熟談和解が困難で、解決が永引くため、諸入用銀も多額にわたるが、村高割で弁済して納入したいと結び、約定証文を差し入れ、その覚悟を明示している。