融通念仏宗の大念仏寺は、元和元年(一六一五)四月に起こった大坂夏の陣に徳川方に協力し、その武運長久を祈願した三六世の道和が元和年間(一六一五~二四)に河内国の平野郷に定堂として再興したと伝え、さらに寛文年間(一六六一~七三)に至って一段と整備されたものである。以後、この寺を中心に教団体制を整えるようになり、大念仏寺を本山とし、各地に散在していた融通念仏の諸々の講が末寺として結集され、その結果、四六世の大通の代の元禄元年(一六八八)、一宗として幕府の公認を得た。この宗は、大原の良忍が大治二年(一一二七)に摂津国平野の修楽寺をもって融通念仏の根本道場と定めてから、特に摂津・河内・大和・山城に教線を張った。その詳細については後述する。