河内地域と融通念仏宗

921 ~ 921

融通念仏宗は、大原の良忍が、四天王寺に留錫していた際、聖徳太子の夢告を受け、大治二年(一一二七)、摂津国平野の杭全(くまた)に一宇を設けたといわれ、それを融通念仏の根本道場と定めてから特に摂津・河内・大和・山城に教線を張っていくようになったものである。そして、近世に入ってからも、この傾向は続き、教団の中本山にあたる、いわゆる六別寺も、この地域に所在している。さらに、現在は浄土宗の寺になっているが、守口佐太の来迎寺も大念仏寺の七世の法明を元祖とし、その高弟の実尊を開山としており、貞和三年(一三四七)の創建以来、江戸時代の延宝六年(一六七八)に現在地の佐太に寺基を定めるまで、住持の代替わりごとに各地を点々としたものの、ほぼこの河内地域において教線を張ってきたのである。また、三六世の道和以降の本山の歴代は、すべて摂津・河内の出身者で占められてきたのである(表121)。

表121 融通念仏宗の歴代
歴代 生国 入住持年 寂年月日
1 良忍 尾張国富田 長承1年(1132)2月1日
2 明応 山城国醍醐 長承1年(1132) 久安4年(1148)4月3日
3 観西 大和国下市 久安4年(1148) 永暦1年(1160)3月4日
4 尊永 山城国西岡 永暦1年(1160) 承安1年(1171)7月1日
5 権賢 山城国大原 承安1年(1171) 治承3年(1179)7月2日
6 良鎮 山城国嵯峨 治承3年(1179) 寿永1年(1182)10月5日
(中絶)
7 法明 摂津国東生郡深江村 元亨1年(1321) 貞和5年(1349)6月13日
8 興善 摂津国住吉郡喜連村 貞和5年(1349) 延文1年(1356)12月2日
9 乗空 河内国八上郡小寺村 延文1年(1356) 延文5年(1360)10月6日
10 道善 摂津国東生郡足代村 延文5年(1360) 応安1年(1368)8月25日
11 道円 河内国渋川郡柏田村 応安1年(1368) 応安7年(1374)11月7日
12 称観 河内国若江郡岩田村 応安7年(1374) 永和4年(1378)2月8日
13 法空 河内国丹南郡阿弥陀寺村 永和4年(1378) 至徳1年(1384)5月2日
14 道音 摂津国東生郡放出村 至徳1年(1384) 明徳2年(1391)9月14日
15 浄善 (不明) (不明)
16 明教 (不明) (不明)
17 法円 (不明) (不明)
18 覚法 (不明) (不明)
19 故観 (不明) (不明)
20 道従 (不明) (不明)
21 道永 (不明) (不明)
22 道法 (不明) (不明)
23 道通 (不明) (不明)
24 乗蓮 (不明) (不明)
25 道融 (不明) (不明)
26 道観 (不明) (不明)
27 法清 (不明) (不明)
28 道由 (不明) (不明)
29 法融 (不明) (不明)
30 助空 (不明) (不明)
31 道観 (不明) (不明)
32 道祐 (不明) (不明)
33 道融 (不明) (不明)
34 宗円 (不明) (不明)
35 法善 (不明) (不明)
36 道和 摂津国東生郡平野庄 慶長18年(1613) 元和4年(1618)月日
37 法順 河内国渋川郡衣摺村 元和4年(1618) 元和7年(1621)月日
38 法覚 河内国渋川郡衣摺村 元和7年(1621) 寛永16年(1639)月日
39 法善 河内国高安郡大竹村 寛永16年(1639) 正保1年(1644)月日
40 道融 河内国若江郡下小坂村 正保1年(1644) 慶安2年(1649)月日
41 清雲 河内国若江郡西堤村 慶安2年(1649) 承応2年(1653)月日
42 崇権 摂津国東生郡大今里村 承応2年(1653) 万治3年(1660)月日
43 舜空 摂津国東生郡北花田村 万治3年(1660) 寛文9年(1669)月日
44 崇観 河内国錦部郡廿山村 寛文9年(1669) 延宝3年(1675)9月13日
45 良観 河内国錦部郡新家村 延宝3年(1675) 貞享3年(1686)2月
46 大通 元禄2年(1689) 正徳6年(1716)閏2月12日
47 忍通 享保1年(1716) 享保6年(1721)8月8日
48 信海 享保6年(1721) 安永7年(1778)
49 尭海 宝暦12年(1762) 寛政5年(1793)月日
50 洞海 寛政5年(1793) 文化4年(1807)月日
51 真海 文化4年(1807) 天保5年(1834)月日
52 教弥 天保5年(1834) 明治1年(1868)月日
53 教寛 明治1年(1868)

注)45世までは、延宝五年六月七日「大念仏寺四十五代記録并末寺帳」、46世以降は、昭和五七年三月一日「融通念仏宗年表」により作成した。