近世における富田林市域の寺院について、『大阪府全志』『大阪府史跡名勝天然記念物調査報告』、および「寺院由緒書」などの市史調査に掛かる史料(その多くは、史料編の『富田林市史』四・五に収載されている)を中心にして、その概要をみておこう。その場合の近世寺院とは、幕府・藩・教団などのいわゆる宗教的公権力によって認められ、「寺院明細帳」や「宗門御改帳」、さらに「末寺帳」などに記載されたものを指す。それらの概要を一覧したものが表124である。
宗派名 寺院名 |
所在地名 | 開基・中興・歴代 | 年次 | 備考 |
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真言宗 | ||||
高野山末 | ||||
龍泉寺 | 龍泉 | 蘇我馬子 | 推古天皇二(五九四) | 建立、薬師如来(伝聖徳太子作)(全) |
弘法大師 | 弘仁一四(八二三)・一・八 | 再興(全) | ||
南北朝時代 | 荒廃(龍泉寺城の合戦)(史) | |||
文禄三(一五九四)一一・三 | 中之坊山林検地免除再認(来守正次)(龍泉寺文書) | |||
慶長一三(一六〇八)・一〇・一九 | 燈明料高三石赦免(片桐市正) | |||
享和一(一八〇一)・一一 | 古義真言宗(図) | |||
寛永年間 | 五坊(史) | |||
寛文年間 | 再建(全) | |||
宝永一(一七〇四) | 『龍泉寺縁起絵巻』(史) | |||
智積院末 | ||||
明王寺 | 彼方 | 弘法大師 | 弘仁一二(八二一) | 創建(伝)(全) |
南北朝時代 | 荒廃(全) | |||
寛治八(一〇九四)・三・二六 | 不動明王(調) | |||
宝暦一三(一七六三)・二 | 無本寺、看坊(調) | |||
天明八(一七八八) | 梵鐘(調) | |||
享和二(一八〇二)・六 | 無本寺(史) | |||
文化一四(一八一七)・八 | 無本寺、除地、境内社白山権現(史) | |||
高取慈恭 | 明治二〇代 | 中興(調) | ||
無本寺 | ||||
称音寺 | 錦郡 | 創建年不明(全) | ||
享和一(一八〇一)・一一 | 本尊如意輪観世音・伝弘法大師(図)・伝楠正成崇信(全) | |||
明治七(一八七四) | 廃寺(上地)(黄檗宗聖音寺か)(全) | |||
蓮華心寺 | 彼方 | 創建年不明(全) | ||
円恵 | 永正一二(一五一五)・二・二四 | 摂取院住持(史) | ||
元禄五(一六九二) | 蓮花寺、石塔有、四年以前崩(史) | |||
任空 | 延宝一(一六七三) | 看坊入院、元真言宗、大念仏宗帰依(念末) | ||
宝永三(一七〇六) | 江戸真言宗霊雲寺に附属(念末) | |||
慧光 | 享保一九(一七三四)・一一・四 | 卵塔(当寺中興)(調) | ||
極妙 | 寛政二(一七九〇)・二・二 | 卵塔(当山三世)(調) | ||
叡道 | 文化一〇(一八一三)・一一・一一 | 卵塔(当寺四世)(調) | ||
文化一四(一八一七)・八 | 蓮華寺、再建不知、除地、本尊弘法大師作(史) | |||
明治元(一八六八) | 廃寺、一部寺宝明王寺に保存(全) | |||
蓮花寺 | 彼方 | 元禄五(一六九二) | 石塔有、四年以前崩(史) | |
(全)には無記載、廃寺(史) | ||||
腰神看坊良順 | 嬉 | 享和二(一八〇二)・六 | 古義真言宗、腰神看坊良順(史) | |
律宗 | ||||
西福寺 | 板持 | (全)には無記載 | ||
元禄三(一六九〇)・六・二九 | 小庵・無住(調) | |||
廃寺 | ||||
法相宗 | ||||
青憧寺 | 佐備 | (全)には無記載 | ||
密照 | 天明一(一七八一) | 墓塔(中興)(調) | ||
慧龍静叡 | 寛政一(一七八九)・一一・一三 | 卵塔(調) | ||
法寿智沢・伝明快晴 | 天保一五(一八四四)・三・二四 | 石塔(本堂中興・再興)(調) | ||
明治年間 | 廃寺 | |||
浄土宗 | ||||
知恩院末 | ||||
極楽寺 | 南別井 | 創建年不明(全) | ||
浄信寺 | 北別井 | 創建年不明(全) | ||
浄蓮社信誉 | 開基(伝) | |||
万治三(一六六〇)・八・一五 | 喚鐘(調) | |||
西方寺 | 毛人谷 | 寂蓮社光誉 | 元正一五 | 再建(全)、天正一五(一五八七)の誤か |
闡誉上人 | 天明七(一七八七)・九・二五 | 二四世 | ||
天保一四(一八四三)・九 | 本堂・観音堂・釣鐘堂、三拾八神社(史) | |||
天保一四(一八四三)・九 | 石灯籠(調) | |||
養寿庵 | 東板持 | |||
誓願寺末 | ||||
(西山深草派) | ||||
青蓮寺 | 伏見堂 | 創建年不明(全) | ||
興空隆慶 | 開基(伝) | |||
浄土真宗 | ||||
西本願寺末 | ||||
興正寺掛所 | 富田林 | 応永年中 | 毛人谷に創建(全) | |
証秀 | 弘治(一五五五) | 河内国を教化 | ||
証秀 | 永禄三(一五六〇) | 本地開発(史) | ||
証秀 | 永禄四(一五六一) | 移転創建(史) | ||
慶長五(一六〇〇) | 家康制札(史) | |||
寛永一五(一六三八) | 本尊(調) | |||
叡了 | 寛永二一(一六四四)・七 | 富田林村万改帳(史) | ||
宝永六(一七〇九)・九・二〇 | 石灯籠(調) | |||
文化七(一八一〇) | 書院・庫裡再建(調) | |||
文政一一(一八二八)・二 | ||||
明治七(一八七四)・一〇 | 富田林村一村限帳(史) | |||
明治一三(一八八〇)・五・二四 | 真宗興正派本山の別院 | |||
妙慶寺 | 富田林 | 柳渓 | 慶長八(一六〇三)・八 | 創建(全) |
休庵 | 寛永二一(一六四四)・七 | 富田林村万改帳(史) | ||
万治三(一六六〇) | 惣門徒中興(史) | |||
享保五(一七二〇)・九 | 本堂再建・瓦(調) | |||
名号(実如?調) | ||||
元文二(一七三七)・一二 | 石灯籠(調) | |||
明治七(一八七四)・一〇 | 富田林村一村限帳(史) | |||
光盛寺 | 新堂 | 尊空 | 貞永一(一二三二) | 創建(伝) |
阿弥陀如来(善如下付) | ||||
名号(蓮如伝・調?) | ||||
戦国時代 | 焼失 | |||
寛永八(一六三一)・一〇・一四 | 寺号公称(全) | |||
祐玄 | 寛永一七(一六四〇)・三・一九 | 太子・七高僧(良如)(調) | ||
祐智 | 元禄一五(一七〇二) | 一二世・本堂・庫裡再建(調) | ||
貞享二(一六八五) | 鐘楼・釣鐘再建 | |||
宝暦一三(一七六三) | 縁起書(調) | |||
寛政四(一七九二) | 山門再建 | |||
文政一一(一八二八)・二 | 明細帳記載(史) | |||
西徳寺 | 中野 | もと水分大明神の宮寺紫簾寺塔頭(全) | ||
教通(善右衛門) | 延徳年間 | 転宗、興正寺末(伝) | ||
享保一一(一七二六)・一二・五 | 水盆(調) | |||
宝暦一三(一七六三)・九 | 石燈籠(調) | |||
教応 | 文久年間 | 本堂再建(全) | ||
明尊寺 | 喜志 | 了智坊 | 文永一〇(一二七三)・八 | 開創(伝・全) |
文明四(一四七二)・七・一二 | 寺号公称(全) | |||
方便法身尊像(蓮如裏書) | ||||
浄恵 | 寛永一七(一六四〇) | 聖徳太子孝養画像・七高僧像(良如下付) | ||
元禄二(一六八九)・七・二四 | 手水鉢(調) | |||
万治三(一六六〇) | 再興(角) | |||
享保五(一七二〇) | 本堂再建 | |||
専光寺 | 新堂 | 永正七(一五一〇)・二・一五 | 寺号公称、興正寺末(全) | |
和田庄七郎清茂 | 永正一二(一五一五) | 創建(伝) | ||
享保一二(一七二七)・三・二七 | 石燈籠(調) | |||
善慶 | 寛延三(一七五〇)・春 | 梵鐘(調) | ||
安永九(一七八〇)・三・一四 | 喚鐘(調) | |||
寛政七(一七九五)・六 | 石燈籠(調) | |||
文政一一(一八二八)・二 | 明細帳記載(史) | |||
安政二(一八五五) | 過去帳(調) | |||
教蓮寺 | 新堂 | 永正七(一五一〇)・一一・二八 | 寺号公称、興正寺末(全) | |
文禄二(一五九三) | 過去帳(調) | |||
元禄四(一六九一) | 太鼓(調) | |||
宝永五(一七〇八)・一一・一九 | 喚鐘(調) | |||
元文四(一七三九) | 石燈籠(調) | |||
享和三(一八〇三)・三・二四 | 石燈籠(調) | |||
文政一一(一八二八)・二 | 明細帳記載(史) | |||
円光寺 | 新堂 | 紙屋三良右衛門房次心了 | 慶長一六(一六一一) | 創建 |
万治二(一六五九) | 中興 | |||
元禄四(一六九一)一二・二〇 | 寺号公称(全・寺社改写) | |||
宝暦一一(一七六一) | 本堂瓦(調) | |||
安永一〇(一七八一)・三 | 石燈籠楼(調) | |||
文政一一(一八二八)・二 | 本照寺末(史) | |||
月光寺 | 喜志 | 創建不明、興正寺末(全) | ||
乗観 | 永禄四(一五六一) | 創建(伝) | ||
寛永年間 | 過去帳(調) | |||
照円 | 寛延四(一七五一)・七・五 | 梵鐘(調) | ||
正信寺 | 喜志 | 興正寺末(全) | ||
寛文八(一六六八) | 過去帳(調) | |||
― ― | 名号・絵像・太子・七高祖(調) | |||
泉龍寺 | 山中田 | 名号(伝蓮如) | ||
霊応 | 承応年間 | 中興(伝) | ||
寛文一二(一六七二)・一・二〇 | 寺号公称(全) | |||
延宝七(一六七九) | 過去帳(調) | |||
享保五(一七二〇)・一二・一九 | 親鸞伝絵 | |||
安政五(一八五八) | 本堂再建 | |||
明治二(一八六九)・三 | 看坊(史) | |||
専念寺 | 西板持 | 宝永七(一七一〇)・三・九 | 寺号(長福寺)(全)・本尊(寂如下付)(調) | |
享保一(一七一六)・一〇・七 | 改称(専念寺)(全) | |||
享保二〇(一七三五) | 過去帳(調) | |||
宝暦三(一七五三)・九・八 | 喚鐘(調) | |||
安永四(一七七五)・一〇・九 | 聖徳太子像(法如下付) | |||
浄福寺 | 甘南備 | 創建年不明(全) | ||
宝永八(一七一一)・一二・一五 | 梵鐘・喚鐘(調) | |||
円照寺 | 南大伴 | 創建年不明(全) | ||
花山法皇 | ― ― | 創建(伝) | ||
三条実顕 | 菩提所(伝) | |||
昭和三五(一九六〇)・三・六 | 廃寺 | |||
常念寺 | 北大伴 | 創建年不明(全) | ||
寛文一(一六六一) | 創建(伝) | |||
元禄九(一六九六) | 過去帳(調) | |||
寛保三(一七四三)・一〇・二七 | 喚鐘(調) | |||
光徳寺 | 北大伴 | 創建年不明、興正寺末(全) | ||
徳潤 | 天保一四(一八四三)・四・一五 | 親鸞伝絵(広如)(調) | ||
河辺大了 | 明治二〇(一八八七)・三・一 | 喚鐘(調) | ||
東本願寺末 | ||||
光円寺 | 新家 | 元和四(一六一八) | 惣道場開基(棟札表裏) | |
享保四(一七一九) | 親鸞画像裏書(真如下付) | |||
宝暦九(一七五九) | 太鼓(調) | |||
安永九(一七八〇) | 太鼓(調) | |||
寛政九(一七九七) | 太鼓(調) | |||
文政一三(一八三〇) | 太鼓(調) | |||
天保三(一八三二)・三・一五 | 再興・棟礼 | |||
安政二(一八五五)・八 | 太鼓(調) | |||
金光寺 | 喜志 | 創建年不明(全) | ||
木仏(宜如下付)(調) | ||||
寛文一〇(一六七〇) | 親鸞画像(琢如下付)(全) | |||
正受寺 | 中野 | 創建年不明(全) | ||
明和二(一七六五) | 創建(伝) | |||
融通念仏宗 | ||||
大念寺 | 板持 | 創建年不明(全) | ||
深正 | 延宝四(一六七六) | 看坊入院(念末) | ||
俊良 | 宝暦一四(一七六四)・三 | 喚鐘?(調) | ||
玄晃 | 明和八(一七七一)・九・一五 | 梵鐘?(調) | ||
神宮寺 | 錦郡新田 | 宝永三(一七〇六) | 古野極楽寺末(念末) | |
享和二(一八〇二) | 古野極楽寺末、看坊(史) | |||
(全)無記載、廃寺 | ||||
安楽寺 | 伏山新田 | 正徳年間 | 過去帳(調) | |
大嶺秀老 | 安永四(一七七五)・一二 | 卵塔(中興開祖)(調) | ||
享保二(一八〇二) | 無本寺、看柱、本尊薬師如来、鎮守社、若宮社(史) | |||
文政九(一八二六)・一 | 喚鐘(現極楽寺在)(調) | |||
天保七(一八三六)・二 | 法界塔(調) | |||
(全)無記載、現浄土宗 | ||||
浄谷寺 | 富田林 | 貞澄 | 弘安九(一二八六) | 毛人谷村に創建(全) |
済戒真証 | 開基(伝) | |||
永仁一(一二九三) | 笠塔婆(伝) | |||
応長一(一三一一)・六・二七 | 石地蔵(志) | |||
教道 | 天正二(一五七四) | 移転、真言宗仁和寺末 | ||
慶長一三(一六〇八) | 大念仏道場(伝) | |||
光清 | 寛永二一(一六四四)・七 | 西ノ道場(史) | ||
寛文六(一六六六) | 惣門徒中興(史) | |||
元禄年間 | 転宗 | |||
天保一四(一八四三)・六 | 観音堂・地蔵堂(史) | |||
惠湛 | 天保年間 | 一七世・再建(南河内郡寺院明細帳) | ||
月山 | 宝暦五(一七五五)・三 | 梵鐘 | ||
明治七(一八七四)・一〇 | 富田林村一村限帳(史) | |||
浄蓮寺 | 佐備 | 長残 | 延宝四(一六七六) | 元浄土宗、看坊入院(念末) |
(現良法寺) | 浄蓮 | 元禄年間 | 元真言宗。転宗 | |
元禄年間 | 過去帳 | |||
享保五(一七二〇)・一 | 喚鐘 | |||
明和七(一七七〇)・六・一五 | 灯籠(閻魔堂常夜燈)(調) | |||
明治四(一八七一) | 廃寺(廃仏毀釈) | |||
明治六(一八七三) | 若江岩田良法寺を移転(調) | |||
明治二八(一八九五)・三・一二 | 若江北良法寺移転(全) | |||
念仏寺 | 龍泉 | 賢性 | 延宝二(一六七四) | 元真言宗、看坊入院、西音寺末(念末) |
(全)無記載 | ||||
明治年間 | 廃寺 | |||
遍照寺 | 甘南備 | 恵順 | 天徳四(九六〇)・四 | 中興、もと真言宗(全) |
休山 | 延宝一(一六七三) | 看坊入院、西音寺末(念末) | ||
貞享二(一六八五)・五・一二 | 五輪塔(調) | |||
正徳年間 | 過去帳(調) | |||
宜全光達 | 享保一五(一七三〇) | 一世(調) | ||
宜全光達 | 宝暦一二(一七六二)・六・一二 | 寂(位牌)(調) | ||
宝暦一二(一七六二)・六・一二 | 法界塔(阿闍梨宜全光達之墓)(調) | |||
享和一(一八〇一) | 再興(調) | |||
誓山 | 文化四(一八〇七)・三・二五 | 寂(卵塔)(調) | ||
極楽寺 | 喜志 | 法明 | 元享一(一三二一) | 中興(全) |
円説 | 寛文一二(一六七二) | 看坊入院(念末) | ||
明和八(一七七一) | 過去帳(調) | |||
安楽寺 | 喜志 | 創建年不明(全) | ||
単了 | 延宝二(一六七四) | 弟子入院(念末) | ||
長福寺 | 廿山 | 創建年不明(全)、もと真言宗 | ||
元中八(一三九一) | 過去帳(調) | |||
順正 | 延宝二(一六七四) | 看坊入院(念末) | ||
享保六(一七二一) | 往古ゟ除地(史) | |||
享保八(一七二三)・三・二五 | 上寺古野極楽寺と出入(念末) | |||
享和二(一八〇二)・六 | 除地(史) | |||
文化八(一八一一)・二・一〇 | 医薬門新建願(念末) | |||
諦元一道義縁 | 文化九(一八一二) | 卵塔(調) | ||
常楽寺 | 錦郡 | 享和二(一八〇二) | 本尊大日如来、鎮守社(史) | |
(全)無記載、廃寺 | ||||
福竜寺 | 錦郡 | 享和二(一八〇二) | 古野極楽寺末寺、看坊、本尊大日如来、鎮守社(史) | |
(全)無記載、廃寺 | ||||
極楽寺 | 錦郡 | 忍空 | ― ― | 開基 |
昌応 | 延宝二(一六七四) | 看坊入院(念末) | ||
享和二(一八〇二) | 古野極楽寺末寺、看坊、本尊阿弥陀如来、鎮守社(史) | |||
もと真言宗 | ||||
引導三尊仏(伝大通筆) | ||||
明和八(一七七一) | 過去帳 | |||
(全)無記載 | ||||
西光寺 | 彼方 | 智観 | 延宝三(一六七五) | 観坊入院(念末) |
宝暦一三(一七六三)・二 | 古野極楽寺末寺、看坊(調) | |||
享和二(一八〇二)・六 | 古野極楽寺末寺、無住(史) | |||
文化一四(一八一七)・八 | 古野極楽寺末寺(史) | |||
佐太来迎寺末 | ||||
浄土宗に転宗 | ||||
(全)無記載、廃寺、遺仏は養楽寺(甲田西之芝) | ||||
正方(法)寺 | 東板持 | 俊月 | 延宝四(一六七六) | 元浄土宗、看坊入院(念末) |
(全)無記載 | ||||
観音寺 | 伏見堂 | (全)無記載 | ||
宥泉 | 寛文一二(一六七二) | 看坊入院(念末) | ||
文政八(一八二五)・三 | 喫鐘(現青蓮寺在)(調) | |||
廃寺 | ||||
金胎寺 | 嬉 | 元弘二(一三三二) | 金胎寺山上から移転(全) | |
享保六(一七二一) | 境内弐畝十二歩(史) | |||
享和二(一八〇二)・六 | 古野極楽寺末寺、無住(史) | |||
明治四(一八七一)・五 | 廃寺(全) | |||
善林寺 | 嬉 | 敬円 | 万治一(一六五八) | 看坊預(念末) |
(全)無記載 | ||||
廃寺か | ||||
穴塩寺 | 横山 | 恵玄 | 延宝二(一六七四) | 看坊入院(念末) |
(西塩寺) | 明治四(一八七一)・五 | 廃寺(全) | ||
臨済宗 | ||||
妙心寺末 | ||||
楠妣庵観音寺 | 甘南備 | 楠夫人 | 正平三(一三四八) | 草庵(観音堂)建立(全・伝)、真言宗無本寺(全) |
応仁年間 | 応仁乱により焼失(伝) | |||
秀玉自照沙弥尼 | 安永六(一七七七)・八・一二 | 卵塔(観音寺末代)(調) | ||
智法玉浄大求寂尼 | 文化九(一八一二)・五・二五 | 卵塔(調) | ||
大龍沙門 | 慶応二(一八六六)・三・二八 | 卵塔(調) | ||
明治六(一八七三) | 廃寺(廃仏毀釈) | |||
大正六(一九一七) | 楠妣庵・観音堂再興(調) | |||
大正一一(一九二二) | 観音寺再興(調) | |||
〔一説によれば、元和一(一六一五)・三。昭和三(一九二八)、京都府南桑田郡より移転。〕 | ||||
黄檗宗 | ||||
万福寺末 | ||||
慈眼寺 | 南別井 | 建武二(一三三五) | 軍檀目鏡(伝楠正成筆)(全) | |
智悦 | 明和四(一七六七)・一二・一五 | 石柱(当寺第五代) | ||
文化一一(一八一四)・五 | 讃文(大久保忠真筆)(全) | |||
龍雲寺 | 加太新田 | 創建年不明、今井法雲寺末(全)、もと真言宗 | ||
独園 | 享保七(一七二二)・一二・一二 | 卵塔(当寺開山)(調)、この頃取立(史) | ||
安永八(一七七九)・七・九 | 卵塔(調) | |||
無染キ | 寛政三(一七九一)・八・七 | 卵塔(臨済正宗三十八世当山八代)(調) | ||
享和二(一八〇二)・六 | 留守居、石見川龍雲寺引寺(史) | |||
養楽寺 | 甲田 | 創建年不明、法雲寺末(全) | ||
龍音 | 江戸中期 | 創建、もと真言宗(伝) | ||
聖音寺 | 錦郡 | 弁宗 | 享和二(一八〇二) | 紫雲院末寺、本尊如意輪観音(史) |
(全)無記載、廃寺 | ||||
無本寺 | ||||
宝海寺 | 新堂 | 享和一(一八〇一)・一一 | 十一面観世音・安阿弥作(図) | |
文政一一(一八二八)・二 | 観音堂・阿弥陀堂・地蔵堂(史) | |||
(全)無記載、廃寺 | ||||
清宇庵 | 新堂 | 文政一一(一八二八)・二 | 本尊阿弥陀如来(史) | |
(全)無記載、廃寺 | ||||
円満寺 | 彼方 | 文化一四(一八一七)・八 | 春日大明神境内(史) | |
地蔵堂 | 廿山 | 享保六(一七二一) | 往古ゟ除地(史) | |
享和二(一八〇二) | 除地(史) | |||
常楽寺 | 彼方 | 文化一四(一八一七)・八 | 再建不知、除地(史) | |
中之坊 | 彼方 | 元禄五(一六九二) | 本屋敷(史) | |
文化一四(一八一七)・八 | 再建不知(史) | |||
角之坊 | 彼方 | 舜円 | 元禄五(一六九二) | 市兵衛屋敷居候(史) |
文化一四(一八一七)・八 | 再建不知(史) | |||
不明 | ||||
南向庵 | 佐備 | 心蓮院即開 | 安永三(一七七四)・七・二九 | 卵塔(門人研成・恵門建之)(調) |
道鉱研成 | 天明二(一七八二)・九・一七 | 卵塔(門人泰良)(調) | ||
観聖 | 天保四(一八三三)・五・二二 | 卵塔(調) | ||
万通泰全 | 安政三(一八五六)・九・五 | 卵塔(弟子実聞建之)(調) |
注)『大阪府全志』(全)、『富田林市史』(史)、『角川日本地名大辞典』(角)、『河内名所図会』(図)、『河内志』(志)、『大念仏寺四十五代記録並末寺帳』(念末)、その他で補正し、寺伝は寺伝(伝)として参考にした。(調)は市史編集係による調査を表す。
これを見ると、ほぼ現在の寺院は、江戸時代にはその基礎を有しているものが大半であることが判る。ただ注目すべきことは、明治維新以降になって、廃寺となったものが幾つか存在するが、その多くは、廃仏毀釈の影響を受けた結果と考えられることである。また、鎌倉新仏教、特に浄土教系統の寺院の中で、元真言宗などであって、その後転宗したとするものがある。この点に関しては寺伝によるものが多いが、現に浄土教系統の仏像―特に阿弥陀仏―以外のものを伝来している場合があることで、その可能性の高さを見ることが出来よう。