近世における富田林市域の神社について、『大阪府全志』『大阪府史蹟名勝天然記念物調査報告』『大阪府神社文化財図録』、および市史調査に掛かる史料を中心にして、その概要を観ておこう。ここで言う場合の近世神社とは、先述したと同様に、幕府・藩などのいわゆる公的・宗教的権力によって認められ、「村明細帳」「寺社明細帳」などに記載されたものを指し、寺院境内社などは、除外した場合がある。それらの概要を一覧したものが表125である。
神社名 | 所在地 | 年次 | 備考(来歴など) |
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錦部郡 | |||
天神社(鎮守) | 嬉 | 享保六(一七二一) | 除地(史) |
享和二(一八〇二)・三 | 塩之宮(史) | ||
横山天神祠(図) | |||
菅原神社(全) | |||
明治四〇(一九〇七)・一二・一三 | 彼方春日神社に合祀(全) | ||
春日神社 | 彼方 | 天長五(八二八) | 空海の創建(社記) |
仁和三(八八七) | 社記(史) | ||
享和二(一八〇二)・三 | 鎮守、拝殿・本地堂(史) | ||
文化一四(一八一七)・八 | 除地、本寺堂・弁財天・円満寺(史) | ||
明治五(一八七二) | 村社(全) | ||
明治四〇(一九〇七)・一二 | 伏見堂神社・菅原神社を合祀(全) | ||
板茂神社 | 西板持 | 明治四〇(一九〇七)・一一・一三 | 建水分神社に合祀 |
大正年間 | (全)無記載 | ||
その後元の地に鎮座(史) | |||
白山権現 | 彼方 | 文化一四(一八一七)・八 | 除地、八王子・弁財天・龍王(史) |
牛頭天神社 | 錦郡 | 享和二(一八〇二)・六 | 御室御所支配、七村立会、社僧金輪寺(史) |
若宮社 | 錦郡 | 享和二(一八〇二)・六 | 女鉢<ママ>神、安楽寺支配、除地(史)ママ> |
天満宮社 | 錦郡新田 | 享保六(一七二一) | 除地(史) |
享和二(一八〇二)・六 | 氏神(史) | ||
三所権現 | 廿山 | 享保六(一七二一) | 除地(史) |
享和二(一八〇二)・六 | 鎮守(史) | ||
信田大明神 | 廿山 | 享保六(一七二一) | 除地(史) |
享和二(一八〇二)・六 | 鎮守(史) | ||
稲荷大明神 | 加太新田 | 享和二(一八〇二)・六 | 氏神、除地、稲荷明神小社(史) |
水郡神社(錦織) | 甲田 | 正平一八(一三六三)・一二・五 | 建立(史) |
永享一一(一四三九)・六・二四 | 修理(史) | ||
寛正六(一四六五)・二・一一 | 造営(史) | ||
永正一二(一五一五)・五・二八 | 造営(史) | ||
明治五(一八七二) | 郷社(全) | ||
明治四〇(一九〇七)・一 | 神饌幣帛供進社(全) | ||
明治四〇(一九〇七)・七・二 | 錦織神社に復(全) | ||
石川郡 | |||
美具久留御魂神社 | 喜志 | 嘉祥三(八五〇)・一二・三〇 | 授従五位上(文徳実録・図) |
元亀三(一五七二)・八 | 禁制(史) | ||
天正一二(一五八四)六・八 | 豊臣秀吉田地寄進(史)・ | ||
秀頼・家光社殿修繕(全) | |||
万治三(一六六〇) | 下水分大明神(記念物) | ||
文化三(一八〇六)三・五 | 神社略縁起書 | ||
明治一(一八六八)・一一 | 神社取調書上帳(調) | ||
明治四(一八七一) | 郷社 | ||
水分宮 | 新堂 | 文政一一(一八二八)・二 | 祢宜原丹波(史) |
佐備神社 | 佐備 | 天安二(八五八) | 文徳天皇の創建(全) |
文安一(一四四四)・一二・二三 | 河内国石川郡東条佐備郷高園宮重修(図) | ||
元禄年間 | 修復(全) | ||
明治三(一八七〇)二・二五 | 修復(全) | ||
明治五(一八七二) | 村社(全) | ||
咸古神社 | 龍泉 | 延喜式内社 | |
龍泉寺の鎮守、牛頭天皇と呼称(全) | |||
明治初期 | 神仏分離(全) | ||
明治五(一八七二) | 村社(全) | ||
明治四二(一九〇九)・一二・二 | 甘南備の咸古佐備神社を合祀(全) | ||
この地の生土神(図) | |||
威古佐備神社 | 甘南備 | 寛平三(八九一)・三・一〇 | 授従五位上(日本紀略) |
明治四二(一九〇九)・一二・二 | 咸古神社に合祀(全) | ||
この地の生土神(図) | |||
三拾八神社 | 毛人谷 | 天保一四(一八四三)・九 | 西方寺境内社(史) |
注)『大阪府全志』『大阪府神社名鑑』『角川日本地名大辞典(大阪府)』『河内名所図会』、その他によって補正した。