下館藩河州領の上知

1015 ~ 1018

常陸下館藩石川氏の河州領は第二章第一節で既述したように、石川郡一八カ村、古市郡四カ村、合計二二カ村にまたがり、全所領の約四〇%近くを占めていた。市域では竜泉と甘南備の二カ村が藩領で、それぞれ膳所藩および徳川氏代官と入組支配していた(表127)。

表127 下館藩河内領村落
村名 村高 備考
石川郡 竜泉 338.055 膳所藩と入組
甘南備 405.755 代官領と入組
平石 421.175
南加納 367.577
北加納 217.120
寛弘寺 439.757 代官領と入組
上河内 242.207
水分 546.334
白木 1097.750
切山 345.393
小吹 253.390
吉年 42.214
東坂 437.583
千早 101.800
二河原部 161.720
中津原 222.512
中村 1209.140
馬谷 63.490
古市郡 碓井 471.686 旗本石川氏と入組
蔵内 207.079 伯太藩と入組
旗本領永井氏と入組
西坂田 169.464
新家 124.367

 河州下館藩の飛地領の村々も天保の上知令でその対象となり、上知を命ぜられたが、そのときの在地側の動向については、膳所藩の場合と違って、現在までのところ詳細は不明である。おそらく上知に該当した当地域村々の領民たちも大いに驚き、また、困惑したであろうことは、想像にかたくない。河州領統治の陣屋の所在地たる白木村でも、村役人が過去一〇カ年間の諸帳面を残らず取り集めて持参し、大坂の鈴木町代官所に出頭して、上知準備のため幾日も滞在し、引継ぎの手続きをしたといわれる(『河南町誌』)。

 下館藩領も他藩と同様に莫大な借銀をかかえ、河州領全体に賦課されていた。そこで白木陣屋の代官一同から、村々の庄屋・年寄につぎのような達書が発せられた(千早赤阪村新田家文書(『千早赤阪村誌』資料編))。

 それは、村々が領主に対して村の名前を出し、封印鑑のある証文を、下館藩の役人の借用証文に切り替えることで対談をすすめているが、引き渡す期日まで間に合わぬこともあるかもしれない。他方、村方出銀返済のことは代知予定の村々の貢租で毎年返済していく心づもりであるから、代官の松尾九左衛門と和田門右衛門の両人に、借財の完了まで現地に逗留してもらう予定であると申し述べている。

写真257 伝下館藩白木陣屋門(現道田家表門、千早赤阪村)

 借銀の具体的な詳細と返済は、貢租の先納として納入した銀一七〇貫と藩主屋敷類焼の復興資金として、負担する銀三〇貫の合計二〇〇貫は、本年から一〇カ年賦無利息で、銀二〇〇貫講の調達銀は来年辰年から一〇カ年賦無利息で、ほかに銀五貫は郷中全体の分として、最初の一〇カ年間は一貫につき銀五〇匁の利息のみ支払い、つぎの一〇カ年間は元金を一〇カ年賦で返済し、その利息は一貫につき銀五〇匁ずつ加え支払うことを取りきめている。

 以上のほかに、藩領村々はたび重なる御用銀や調達金の負担のために、個人名義で各地の奉行所や代官所の公金の貸付を受けていた。表128はこれを示したものである。大坂両町奉行所や堺奉行所、大坂鈴木町・谷町両代官所、近江の信楽・大津両代官所、京都二条小堀代官・木村代官所のほか、大和五条代官所や石見大森代官所などから総額約四五五貫五七四匁と、金約三三一四両永一〇三五文の公金貸付を受けている。貸付額の多いところとしては、大坂両町奉行所や鈴木町・谷町両代官所のほかに、京都木村代官所などがあげられる。借銀の村々は藩領全体にわたっているが、陣屋の所在地白木村は、ほとんど各地の代官所から公金貸付を受けているのである。

表128 下館藩河内領村落負債
金額 貸付村名・人数
大坂両町奉行所御貸付 銀347貫012匁 碓井・西坂田・新家・中村・二河原部・南加納・寛弘寺・竜泉・甘南備・平石・中津原・白木人数62人、外請人14人
堺奉行所御貸付 銀11貫38匁6分 白木・南加納・寛弘寺 人数11人、外請人、村役人
多羅尾様御役所御貸付 金192両永240文 南加納・北加納両村庄屋・年寄・百姓代
大津御代官所御貸付 金1765両3歩 寛弘寺・馬谷・碓井3カ村庄屋・年寄
銀4貫
築山様御貸付 銀27貫181匁7分 白木・寛弘寺・庄屋・年寄・百姓代
金360両永237文
大坂両代官所立会御貸付 銀20貫778匁6分6厘 白木村庄屋・年寄・百姓代
竹垣様御貸付 銀34貫360匁 白木・寛弘寺・平石
金446両永208文
石州岩田様御貸付 銀11貫205匁3分1厘 白木・寛弘寺
和州五条様御代官所御貸付 金7両1歩永199文 南加納・北加納
小堀様御貸付 金37両1歩永126文 白木・寛弘寺・平石
木村様御貸付 金505両3歩永25文 白木・寛弘寺

注)天保14年(1843)9月「上知ニ付村々江書下ケ控帳」(千早赤坂村新田家)より作成。

 この借銀の返済の具体的方法については村々が上知引渡しになったので、早速に返納して村々の借銀証文を相手から取り戻すべきではあるが、藩領の上知とは引き換えに代知の村々が割り当てられるはずであるから、これまでの村々の拝借証文を新しい代知の村々の証文に引き換えたい旨、白木陣屋の代官の連名で村々庄屋・年寄中に申し渡している。しかし代知の具体的な村名も決まらず、返済の実現も可能であるかどうか、すこぶる不確定である。しかも、借銀の絶対額の大であることに注目すべきである。