幕末期に、村ごとあるいは組合村々において数多く試みられた倹約取り締まりのうち、幕府代官石原清一郎の支配所であった石川郡富田林・新堂・喜志・板持などの村々のそれを見ることにしたい。
同代官支配下の村々において、「質素倹約取締箇条書」(喜志谷家文書、東板持石田家文書)が取りまとめられたのは、文久元年(一八六一)二月のことであった。うち続く凶作と米価高騰に対処するため、向後五年間の期限付きの諸事倹約の申合せであった。その内容は、次に列挙するとおり、きわめて多岐にわたっていた。すなわち、年貢・村入用納入の励行に始まり、冠婚葬祭の簡素化、諸営業の規制、すでに無高層として村々に多く滞留していた無人別の者への貸家の禁止、貸借訴訟で優先権が付与された宮門跡・有力寺社・諸侯などの名目銀借り入れ禁止、その他生活上の諸制限・禁止などが網羅されている。
(1) 年貢はもとより村入用も期限どおり納入すること。
(2) 博打をした者がいれば、ただちに村役人へ訴え出ること。
(3) 農業を疎かにするような諸商いは禁止すること。
(4) 無人別の者に家を貸さないこと。
(5) 名目銀を借用しないこと。
(6) 若者宿を禁止する、若者は遊興に耽ったり、道端で雑談して夜遊びをしないこと。
(7) 女性は、婚礼などのときを除き、銭を払って髪を結わせないこと。
(8) 諸勧化はすべて断り、寄進や相撲・浄瑠璃・芝居などの興行についても、世話をしないこと。
(9) 神事のとき、地車を出さないこと。
(10) 盆踊りを禁止すること。
(11) 新宅・婚礼・節句などの祝いは、質素にすること。
(12) 鯉幟を立てるときの酒宴は、初年だけとし、二年目からは禁止すること。
(13) 伊勢参宮・寺社参詣のときの土産物や出産・病気見舞いの品物のやり取りは、禁止すること。
(14) 葬式は、村内の最寄りの者が手伝って簡素に行い、禁酒とする。会葬者に出す食事は、一汁一菜に限り、そのほかは握り飯・香の物とすること。
(15) 年忌仏事は僧侶・親類だけで営み、近所の者が集まって酒宴をしたり、茶の子を配るなどのことを禁止する。
(16) 年始・盂蘭盆などは別として、それ以外の休日・五節句などの日の食事は、平常どおりの内容にすること。
(17) 奉公人の給銀を以前のとおり引き下げ、仕着料として、五月に木綿代銀八匁、盆には単物代銀一〇匁と綿入代銀二〇目を支払うこと。