明治五年(一八七二)一〇月一〇日、政府は大蔵省布達をもって「各地方土地ノ便宜ニ寄リ一区ニ区長壱人、小区ニ副区長等差置候儀ハ不苦候」(『法令全書』)と通達した。これに従って区を大区と小区に分ける府県が次第に多くなったが、堺県でも大小区制を採用することになり、七年一月二二日、「従前管下区分之制、大小広狭一様ナラス、区長亦多人数ニシテ精選登用ニ至リ難ク、事務一定ノ制無之ヨリ、民費モ漸次相嵩(かさみ)候ニ付、今般更ニ河泉ヲ大小区ト定メ、道路山川等ノ判然タル境界ニ依リ区分」(『堺県法令集』二)することを布達した。河内国は、三大区一五小区に分けられ、区ごとに会議所が置かれた。さらに、同年四月、「管下村々大小広狭区々ニテ、小村独立或ハ分郷等有之、各正副戸長ヲ置、事務煩雑一定セス、民費モ亦相嵩ミ、衆庶ノ難渋不少候ニ付、村務簡易・諸費減少・戸長精選セシム為、今般別紙之通、一小区中村々ヲ組合村ト相定候」(同)として、小区内の村を一五〇〇石前後を目安に合わせて組合村を編成して集議所を置き、組合村には戸長一人、村に副戸長一人を置くこととした。組合村は、一小区ごとに番号を付け、村は河内国第何大区何小区何番組何村と呼ばれるようになった。本市域は、河内国第一大区の二・四・五・六小区に分かれていたが、関係する組合村は次のとおりである(『大阪府全志』一、富田林杉本家文書「掌記」)(傍線は富田林市域)。
二小区(一〇組・三〇か村)
八番組 石川郡 新家村 喜志村 仮事務所 喜志村明尊寺
九番組 石川郡 中野村 新堂村 仮事務所 新堂村会所
十番組 石川郡 富田林村 毛人谷村 仮事務所 富田林村元会所
四小区(六組・二〇か村)
六番組 石川郡 山城村 南大伴村 北大伴村
五小区(一〇組・四五か村)
一番組 錦部郡 錦郡村 錦郡新田 伏山新田
二番組 錦部郡 甲田村 新家村 廿山村 加太新田
三番組 錦部郡 嬉村 横山村 伏見堂村 彼方村 板持村
六小区(八組・三六か村)
一番組 石川郡 (東)板持村 山中田村 佐備村 龍泉村
三番組 石川郡 南別井村 北別井村 南加納村 北加納村 寺田村
七番組 石川郡 千早村 中津原村 吉年村 東坂村 小吹村 甘南備村
大小区制では、大区に大区長正副どちらか一人、小区に小区長正副各一人を置いた。大区長・小区長の選出は、大区長は大区内の、小区長は小区内の記名投票によるが、県が不適当と認めた時は再選挙を命じ、あるいは直接任命することができた。選挙資格は、「家蔵屋敷・田畑山林等ノ産ヲ所持スル者」に限られた。大区長の月給は、正二〇円、副一八円で、小区長は、正一五円、副一二円で、その費用は、管内一般に戸数・地価を基準に賦課された(『堺県法令集』二)。被選挙権は、年齢二〇年以上の者で、維新以後、区戸長として私欲不正のあった者を除外し、選挙にあたっては、依頼を受けたり、愛憎によって投票することを禁じた(同)。堺県は、大小区制の布告に先だって、新設する大区・小区の区長を「投票公選」にする方針を定めたが、「是迄選挙人之体裁不相立より、不相当之者投票ニ出、公選の詮無之義間々有之」という状況であったので、一月一七日、当時の区戸長に対して区内町村の「家蔵屋敷・田畑・町地・山林等の産を所持する者及び其質取人、其名代人」の住所姓名を調べて報告するよう布達している(『堺県法令集』二)。
大小区長の職務については、「区長事務条例」「事務章程」を制定して細かく規定している。大区長は、大区内の事務を総理する権限を有し、「公令ヲ説諭シ、上下ノ情実ヲシテ貫徹スルヲ旨トシ、貢租ヲ納メ、諸費ヲ督シ、諸賦課ヲ公平ニシ、冗費ヲ省キ、有益ヲ起シ、其他事務章程ニ随ヒ、事毎ニ条理ヲ遂ケ、決ヲ県庁ニ取リ、以テ処分」することを任務とした。小区の正副区長は、大区長を補佐し、大区長不在の時はその任務を代行することになっていた。各大区小区の区長は、「一聯合」と心得、不統一のないように事務を処理し、非常の事件は協議して処理することになっていた。なお、八年三月二四日、内務省の指令に従って、大区長は区長、小区長は副区長と改められた。したがって、小区の区長は廃止され、副区長一人だけとなったようである(以上『堺県法令集』二)。
戸長は、組合村の記名投票で選ばれるが、選挙人は記名封入して小区長に提出し、大区長立会いの下で開票する。副戸長の選挙は村単位ではなく、戸長と同様に組合村全体で行われた。「掌記」(富田林杉本家文書)には、河内国第一大区二小区の各番組の戸長・副戸長が記載されている。また、この年、堺県下で一斉に作成された「一村限調帳」は、戸長・副戸長が連署して県令に提出している。本市所蔵旧鳴川家文書・土井家文書(彼方)・奥野家文書(河内長野市)中の「一村限調帳」および「掌記」から作成したのが表6である。これによると、副戸長の人数が村数より少ない組合村(番組)も多く、副戸長がいなかったり、二、三か村を兼任しているようにみえるところがあるが、「掌記」の記載は、次のようになっている。
三番組
国府村 大井村 北条村 船橋村
戸長
国府 浅野逸太郎
副戸長
大井 白江太平治
同
北条 寺田八三郎
同
舟(船)橋 松永磯七
六番組
古市(ふるいち)村 碓井村 広瀬村 東坂田村
戸長
誉田 矢野誠治
副戸長
古市 森田善四良
同
碓井 松倉伴吾
同
広瀬 塩野繁作
小区 | 番組 | 戸長 | 村 | 副戸長 |
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2小区 | 1 | 丹北郡小山 | 松田又造 小泉誠一郎 | |
丹北郡津堂 | 石田欽八郎 | |||
2 | 志紀郡小山 | 山岡嘉十郎 | ||
岡 | 岡 | 高田藤平 | ||
岡田兵作 | 藤井寺 | 岡田七三郎 | ||
3 | 大井 | 白江太平治 | ||
国府 | 北条 | 寺田八三郎 | ||
浅野逸太郎 | 船橋 | 松永磯七 | ||
4 | 沢田 | 松村平一郎 | ||
沢田 | 古室 | 乾九平 | ||
澤村仁平治 | 林 | 東尾平太郎 | ||
道明寺 | 西田宗平 | |||
5 | 野中 | 林忠平 | ||
野中 | 誉田 | 高瀬平三郎 | ||
林猪七郎 | 軽墓 | 麻秀一 | ||
6 | 古市 | 森田善四郎 | ||
誉田 | 碓井 | 松倉伴吾 | ||
矢野誠治 | 広瀬 | 塩野繁作 | ||
7 | 西ノ浦 | 本所弥治平 | ||
西ノ浦 | 蔵之内 | 田中重平 | ||
乾長三郎 | 西坂田 | 田中四郎 | ||
8 | 喜志平分 | 酒井林造 | ||
喜志 | 喜志川面 | 土井太六 | ||
木下喜左右 | 新家 | 辻政平 | ||
9 | 新堂 | 新堂 | 高橋太平 竹田仁平治 | |
平井四郎次 | 中野 | 山岸元二郎 | ||
10 | 富田林 | 富田林 | 杉田善作 | |
杉本藤平 | 毛人谷 | 和田文治 | ||
5小区 | 3 | 成川清三郎 | 彼方 | 土井又太郎 |
4 | 市 | 河合平三郎 | ||
杉村祐太郎 | 市村新田 | 灰原源造 | ||
向野 | 中谷重太郎 | |||
5 | 上原 | 北居新平 | ||
長野 | 阪井太郎次郎 | |||
野 | 中尾重五郎 | |||
北辻武太郎 | 原 | 中尾重五郎 | ||
西代 | 中尾重五郎 | |||
古野 | 広口礒治 | |||
惣作 | 納城儀平 | |||
6 | 下里 | 小谷武与衛門 | ||
右衛門佐善十郎 | 天野山 | 西端駒太郎 | ||
小山田 | 西端駒太郎 | |||
7 | 日野 | 久保多民治 | ||
田中弥三治 | 滝畑 | 久保多民治 大宅長平 | ||
高向 | 大宅長平 | |||
9 | 石仏 | 植谷兼次郎 | ||
新町 | 植谷兼次郎 | |||
片添 | 植谷兼次郎 | |||
瀬古宗治郎 | 下岩瀬 | 中谷甚次郎 | ||
上岩瀬 | 中谷甚次郎 | |||
天見 | 中谷甚次郎 | |||
清水 | 大谷善一郎 | |||
流谷 | 登尾斉次郎 | |||
10 | 福田平次 | 鬼住 | 冨賀作次 東井弥七郎 | |
6小区 | 8 | 太井 | 田中真十郎 | |
山本俊平 | 小深 | 北谷栄三郎 | ||
石見川 | 堂ノ北藤蔵 |
注)2小区は富田林杉本家文書「掌記」、5・6小区は「一村限取調帳」(『河内長野市史』8、『羽曳野市史』6所収)より作成。
すなわち、副戸長は、村ごとに置かれるのではなく、組合村として複数の副戸長を置いたものと思われる。その人数は、組合村の規模に応じて決められた可能性があり、二小区九番組のように、二か村に対し三人の副戸長が置かれているところもある。「一村限調帳」の場合は、一村ごとに作成されているので、担当した副戸長が戸長と連署することが多かったと思われる。そのため、五小区の組合村のように、いくつかの村の副戸長を兼任しているようにみえるものがあり、滝畑村(現河内長野市)のように複数の副戸長が連署しているところもあった。「一村限調帳」は村単位で作成されるが、五・六・九番組では組合村全村が一冊にまとめて綴じられており、このような事例は、むしろ一般的であった(『一村限取調帳』松原市史資料集 八)。要するに、副戸長は一村の役人ではなく、組合村全体の役人としての性格を持っていたのであり、組合村の設置によって近世以来の村の地位が低下し、組合村が行政の単位になったといえる。堺県は、七年四月一三日、組合村編制の布達に「組合村々ハ聯合ト相心得、一村同様最懇和協力シ、自他ノ別アル可カラサル事」(『堺県法令集』二)という一項を付している。