大阪府編入と毎町村戸長制

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明治一四年(一八八一)二月七日、堺県は、大阪府に合併された。大阪府では一三年七月以来毎町村戸長制を実施していて不統一になるので、三月五日、旧堺県の聯合町村制を廃止して毎町村戸長制を実施した。ただ、戸数三〇戸未満の村は、最寄りの町村と連合して戸長一人を置くこととし、三〇戸以上の町村でも便宜によって連合することを認めた。市域では、錦部郡の甲田村と新家村、伏見堂村と横山村が聯合町村として戸長を置き、他の村はすべて一村ごとに戸長を置いた。

 戸長は公選制で、三月七日に布達され、一〇日までに実施することになった。選挙資格は、戸主であれば年齢・財産による制限はなく、寄留者も、その町村に不動産を所有しておれば資格が与えられた。被選挙資格は、寄留者などを除く満二〇歳以上の不動産所有者に限られたが、一四年八月二九日の改正によって財産による制限は撤廃された。任期は三年で、再選が認められた。このように、大阪府の毎町村戸長制における戸長の選挙・被選挙資格は、堺県の聯合町村制に比べてはるかに幅広いものであった。しかし、一五年六月三日の改正で制限が強化され、選挙権は、満二〇歳以上の者に限られ、寄留者は一切選挙権を認められず、入籍後五〇日を経ない者も除外され、被選挙権の除外規定も適用されるようになった。一六年三月七日の改正では、再び不動産を所有している寄留者の選挙権が認められ、入籍後五〇日の制限も廃止されたが、戸主条件が男戸主に改められた。被選挙権には大きな変化がなかったが、当選しても府が不適当と認めた時は再選挙を命じ、あるいは官選で任命することもできた。戸長の任期は三年であった。一四年八月の改正で二年となり、一六年三月の改正で四年となったが、いずれの場合も再選が認められていた。戸長の給料は、五〇〇戸未満は年額二四円、五〇〇戸以上一〇〇〇戸未満は三六円、一〇〇〇戸以上は四〇円であった(『大阪府布令集』三)。

 村総代は、大阪府では町村会議員選定にともなって、一三年一一月一〇日に廃止されていたので、旧堺県管内でも、一四年五月二〇日、「各町村総代に関する旧堺県布達、総て廃止候」(『大阪府全志』一)と布達された。しかし、村内の庶務を担当する総代を存続させている村もあったようである。