富田林小学は富田林村郷学校の本校であった富田林御坊を借り受け、教場も郷学校時代の三教室をそのままに利用して、明治六年(一八七三)四月に開校した。六年一二月、生徒は二二一人を数えた。六年九月、学校書籍購入費の寄付金が募られ、学区取締杉山長一郎をはじめ仲村徳平・杉本藤平・田守三郎平・葛原茂平ら、富田林・毛人谷両村の有力者が出金し、裕福な生徒二三人からも三か月にわたって集金している(富田林杉本家文書「廿壱番小学校営繕諸費計算帳」)。七年九月堺県伊東恒徳らが来校し、学校新築の必要性を説いた。同年一一月に村会で新築を決議し、富田林村二二四番地字南会所町に地続き地を合わせ土地を買収し、校舎新築への準備が進められた(近代Ⅸの一「富田林尋常小学校 沿革誌」)。「日新誌」(富田林杉本家文書)によると、七年一一月八日から地平(じな)らしを始め、一二月二一日に棟上げをし、八年三月には落成した。八年四月八日に開校式が挙行され、県庁から伊東学務課長が県令代理として来校した。当日は、富田林・毛人谷両村は休業とし、村人は群集し屋上から餅まきをするなど盛大に祝った。新校舎の敷地は二九一坪、建物は八四坪で、五教室と応接所五坪、教員控所四坪であった。新築造営費は一五〇〇円、敷地代金一一〇円、備品・教授器械一二品一〇円、学校器具一〇〇円、書籍一〇〇円と、合計一八二〇円であった。以上に対して富田林・毛人谷両村民の寄附金合計は一一〇〇円、両村協議費七二〇円で総計一八二〇円と計算されている(近代Ⅸの一)。