新堂小学校の開校

115 ~ 117

明治六年(一八七三)一〇月、小学校五〇校増校計画に従って、河州九十二番新堂小学校が二十一番富田林小学から分離新設された。さらに七年三月、九十二番新堂小学から分離して、新堂村南新堂に一校を開設することが出願され、許可を得た。こうして円光寺に第百三十三番小学が設立されたが、同年九月には、第百三十三番小学の称号を取り消し、第九十二番小学支校と改称したという。新堂小学校は八年二月、村民を集めて校舎新築を議決し翌年一月に出願して許可を得た。九年六月には新校舎が落成し、支校を合併した。新校舎は新堂・中野両村の中央にあった郷蔵跡を利用し、建坪は七〇坪余、和風造りのコの字型で、五教室と応接所・茶場・物置を備え、廊下でつながれており、屋上には遠見台があるという、立派な校舎であった。表門および垣窓は西洋造りで、門内に掲示場があった。建築費七〇六円六〇銭二厘は、新堂村・中野村・南新堂からの寄付金と、新堂村郷蔵・旧会所等売却費で支出した(新堂小学校「学校沿革誌」、新堂平井家文書「新堂村小学沿革」)。

写真32 新築当時の新堂小学校表門図 (新堂小学校「学校沿革誌」より転載)

 表15は明治八~九年ごろの市域小学校の一覧である。一一校がすべて下等小学で、そのうち九校が明治六年、残り二校が同七年の設立である。学舎・教員・生徒(男女)・扶助金配当高(小学補助金)にわたり、当時の実態を示しており、興味深い。

表15 富田林市域の小学校(明治8~9年ごろ)
位置 名称 学科 設立年月 教員生徒 扶助金配当高
石川郡 円銭厘
富田林校 下等小学 明治6年4月(新築) 4 0 160 74 54.51.4
新堂校 6年10月(旧屋) 3 0 131 41 24.7.6
喜志校 6年4月(旧屋) 2 0 89 34 26.90.4
大伴校 7年2月(旧屋) 2 0 69 36 24.7.2
佐備校 6年6月(旧屋) 2 0 68 20 20.6.0
山中田校 6年10月(旧屋) 2 0 69 29 23.12.8
甘南備校 6年10月(旧屋) 2 0 26 8 8.2.4
錦部郡 錦郡校 6年5月(旧屋) 3 0 70 31 22.18.4
伏見堂校 6年9月(旧屋) 1 0 58 20 11.32.8
甲田校 6年12月(旧屋) 2 0 46 10 10.62.0
廿山校 7年6月(旧屋) 1 0 49 21 10.38.4

注)「大阪府史料」64(旧堺県政治部 公立学校表)より作成。