学区の設定と地域

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大阪府では堺県を合併後、「学制」の学区を廃止し、新しく小学校設置区域としての学区を設けた。明治一四年(一八八一)一一月、それまでの小学区を改め、新しい学区を制定し、区内における数校の小学校の経済を共通させる方向であった。学区制は区内の経済を合一して学資を充実し、教育諸条件の整備を目ざした。次いで一七年八月、小学区を再改訂した。こうして学区経済の合一が、知事の政策で推進された。一四年一一月に制定された市域の学区の実際は、表21の示すとおりである。

表21 明治14年11月の学区
学区 校名 村名
石川郡 第1学区8か村 富田林 富田林、毛人谷
新堂 新堂、中野
喜志 喜志、広瀬(古市郡)
山中田 山中田、東板持
第3学区19か村 大ケ塚 大ケ塚、一須賀、東山 山城、北大伴、南大伴
別井 別井、寺田
寛弘寺 寛弘寺、神山
白木 白木、加納
中村 中村、芹生谷、馬谷
森屋 森屋、桐山
佐備 佐備、龍泉
第4学区9か村 水分 水分、二河原辺、川野辺
甘南備 甘南備
小吹 小吹
千早 千早
東阪 東阪
中津原 中津原、吉年
錦部郡 第3学区21か村 上田 上田、喜多、三日市 片添、小塩
古野 古野、原、向野
長野 長野
西代 西代、野、惣作、上原
市村新田 市村新田、伏山新田 錦郡新田、市
伏見堂 伏見堂、横山、嬉
小山田 小山田
第4学区7か村 板持 板持
錦郡 錦郡
彼方 彼方
甲田 甲田、新家
廿山 廿山、加太新田
蟻ケ原 五軒家(廿山村のうち)

注1)『大阪府教育百年史』3より作成。
 2)ゴシック体は富田林市域の村。

 また、一五年六月、府は各学区の幅員・周囲・学校およびその付属町村の位置・距離などの図面を提出させた(同)。それと前後して、村立小学校の統廃合が広く進行した。市域の事例の一つとして、一六年五月、村立小学校の合併伺いとして出された、錦部郡第四学区板持小学校を中心とした石川郡第一学区山中田小学校(同学区東板持村も加わる)との合併問題を述べてみたい。これは、錦部郡板持村の村会員総代二人、学務委員田中林平、戸長土井光治朗、石川郡山中田村村会員総代二人、戸長杉山喜六、同郡板持村村会員総代二人、戸長田中与三郎および富田林村学務委員青谷東寿が差出人となり、府知事建野郷三にあてたものである。その内容は、学事規則が改正され、石川郡第一学区山中田小学校と錦部郡第四学区板持小学校は経済力が不十分なため、大阪府諭達に基づき合併し、新小学校を建設する。ついては、山中田校が借用していた山中田村泉龍寺の本堂を返却し、器具・書籍などすべての備品を新しい板持校に移管したい。別紙のように校舎の増設目論見書や位置の略地図を添えておく、というものであった。なお、中等科以上の生徒は石川郡第一学区富田林小学校へ通学するので、各村からの距離を記入している(近代Ⅸの三)。

写真34 板持尋常小学校建物敷地略図 (土井家文書、近代Ⅸの三)