堺県では明治初期に神社合祀が行われている。これも彼方村の事例をみてみよう。同村には先にも述べたように春日神社が鎮座していたが、そのほかに蓮華心寺の鎮守として、金山彦神社・八王寺神社・竹生島明神・龍神社、また明王寺の鎮守として金山彦神社があった。明治初年以来のたび重なる神社の調査の結果、これらを整理する方針が堺県によって出されたものと思われ、明治五年(一八七二)五月五日に、これらの神社を春日神社に合祀することが、彼方村から堺県の出張役に向けて出された文書に記されている(彼方中野家文書「乍恐奉願上候」)。神社合祀は明治末に全国的に行われたものが著名であるが、明治初期にも同様の動きがみられた。彼方村ではまず明治初期の段階で一村内に多数あった神社が一つに整理されたのである。同様の事例は史料こそ残らないものの他の村でもみられたものと思われる。